中学生のとき、学校の授業中に、作文を書く時間があった。私は、作文の主題について心のなかで記憶やイメージを想起したり、自分に問いかけ考えることで、気になったキーワードを書き出していった。そして、それらのキーワードがどのように関連していて、どの順序で話すのが良いのかを検討した。それで三十分ほどかかっていたが、私は焦らずに、粛々と書き始めた。結局、私は授業時間を超過して書き上げて、提出した。
教師は、作文の講評で、私の文章の構成は良いといった。しかし、大人のスキルとして、決められた時間内に書く技術を身につけることも必要であるといった。私は、文章の質と書く時間はトレードオフであり、良い文章を短時間で書く都合の良い方法は存在せず、いつも借りてきた言葉でありきたりな話をするこの教師らしい言葉だなぁと思った。
私のその時の気持ちは、今も変わっていません。