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2. 言葉を整った考えを伝える道具として使う人にとっては、有名な文法書やスタイルマニュアルが推薦する表現や、想定読者が慣れ親しんでいる慣用表現を使う、というスタンスが好ましいですね。
3. 文法を付け加える必要があるか?については、文法は誰かがコントロールするものではありません。(ある文章が文法に即しているかどうかはインフォーマントと呼ばれる被験者が判断し、文法学者は判断しないのが正式なやり方です。)いかに不合理な文法であろうとも、もし実際に使われているのなら、文法に付け加えなければそれは不完全な文法理論になってしまいます。
言語学者は、話者たちが感じているはずの微妙な違いを自分たちが聞きこぼすことを危惧しています。V-ing と原型不定詞の意味の違いについては、私の感想ではなく、先程のリンク先の論文にも書かれているように文法理論では一般的な見解と思います。(大学の講義でそのような議論をどこかで聞いた覚えがあったので、とりあえず言及をしている論文の例を調べて示したところです)一見重要ではない違いに着目することで、人間の認識の枠組みが明らかにされていく…というのは言語学者の夢の一つですが、文法を考えている人は「良い意志疎通手段を作るには?」とは全然違うことを考えていることを知っていただけると幸いです。