\pi = ...314159267539578...
(小数第1300376864位からの抜粋)
https://pi.buta3.net/result.php?n=31415926
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(小数第1300376864位からの抜粋)
https://pi.buta3.net/result.php?n=31415926
Misskey、はっきり言ってTwitterの1/1000のアクセスにも耐えられないでしょ。そういう作りになってるものではない。https://twitter.com/Xatz/status/1675385509689040896
のびのび開発していのに、ツイッターが自爆したせいで効率化のための開発を急かされているという感じかな
ユーザーが増えるのは全然悪いことじゃないんだけど…
RE: https://p1.a9z.dev/notes/9gp5f2e0y1
@nmkj@calckey.jp 「思想が強い」という表現は、個人やメッセージに、「思想」(非権力的、非主流的な立場の考え)を伝えるという要素が「強い」ことを表現して、攻撃的・胡散臭い・押し付けがましい・不快という印象があることを伝えていますね。
(傍目からは胡散臭いと思われるくらい)その意見に忠誠を持っているということを賞賛するために逆説的に使われたり、議論や推敲の対象となっている物事が人々に与える印象を戯画的に理解するために使われることもありますが、自分の抱いた印象を絶対的に信じて「思想」が「強い」人を冷笑して満足するような使い方は残念ですね。
@nmkj@calckey.jp 同感です。
内容に基づいて判断できる能力や気力がない場合、本当に有害な言説から身を守るためには十把一絡げな態度もやむを得ないのかもしれませんが、それなら謙虚でいてほしいものです。
照会機能の紹介ノート(ダジャレではありません)たくさんリノートしていただいてありがたいはなしですが、注意を引くための標識には赤色ではなく、オレンジ色や青っぽい色を使う(色覚異常の人はこうすると見やすい人が多い)ことを忘れるという失態を犯してしまった。
オリジナルという概念、版画によって成立したよなぁ。錦絵でも初摺って重要だし。版画を見ていると版の存在を想起するけど、それは複製物がそのオリジンの痕跡をとどめていると了解されている。
その意味で、アウラの消失は複製技術そのものに起因するのではなくて、アウラを消失させるような複製技術があるというのが正しい。版の存在を意識しなくなるような複製技術がある。
日本の場合だとメディアの主流が木版から活版への移行(明治20年くらい)というのも、そういうタイミングの一つだとおもう。活版の登場によって、刷の部数がスケールするようになったのと、部数による劣化が認められなくなる。木版の摺りは初期か後期かでかなり品質の幅があり、どうしたって版の存在を意識せざるを得ない。木目もあるし。それが活版になってみると、いつ刷られたか関係ないし、ある本で使われるフォントが他の本でも使われる。これは、版の存在を意識から後退させたとおもう。
@kyokoi@misskey.syachiku.info inbound trafficは無料じゃなかったでしたっけ?
「生きているのが不安だ、つらい」という問いに対してはたいがい「何でもよいので、何かに没頭すれば良い」という答えが返ってくる世の中ですからね。その答えを受け入れられないと、とたんに孤独の荒野に放り出される。
RE: https://misskey-square.net/notes/9gqaupx7i8
実際問題としてRustで書く覚悟を固めることで、パフォーマンス改善への強い意志を示し、強者を開発に誘引できるという効果もあるかもとは思う。心配事は腕力で解決。
RE: https://misskey.hikalium.dev/notes/9gqga704so