ういーねむいわねぇ。
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昨日参加者から出た面白かった意見。
学校教育の話になったのだけど、多くの人(大人も含めて)はフィクションを虚構だと意識しない点について話題になった。
我々は書いたり話したりしているとき、何かしらの装いをしている。
例えば、SNSで書き込むとき、日常のことを赤裸々に綴っているつもりでも、SNS人格的なものがあって、普段の「私」と同じではない。
それと同じように、小説や多くの古典文学作品も、語り手が作者本人っぽくみえても、それは現実の作者とは違う装った「私」が語っていたりするわけだね。
その辺のことを案外スルーしたまま授業をしがちで、そうすると生徒の方も『舞姫』を読んで、森鴎外はひどい人だと思いましたなんていう感想になったりする。
で、この考え方って結構大事な気がして、メディアリテラシー的なことと関わりがある気がするんだよな。
話している人は必ずある立場で物を言っているというか。その人が今話しているのは、政治家としての立場だから、嘘は言ってないにしてもある程度割り引いて考える必要があるよな…とか。
この辺の、メディアリテラシー的なことは結構言ってる人も多い気がするのだけど、考えがあまりなかったので良く考えてみたいと思った。
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