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セルフホストできる仕組みが好き過ぎてMastodonに来たよ。
30年前は草の根BBSをホストしてた。
他の人(たち)のために時間を守らなければならない予定が一日のうちに複数あるとストレスになる、ということに気付いた。
1件だけならあまり気にならないが、2件になると明らかに緊張する。今日は3件もあるので朝から気が滅入っている。
ん?気乗りしない案件だから、なのかな。そっちかも知れない。
あ、最初のやつは9:30からだ。もうそろそろ出発しなければならない。いやだー。
一つ用事が済んで帰ってきた。
うちの町と隣の市が共同で運営しているゴミ処理施設が老朽化更新の時期を迎えたので新しい施設を建設する、その起工式だった。町の区長会長(≒自治会長)をしているので、住民を代表してという意味合いですね。
午後に一つと夕方に一つ用事が残っていて、まだゆっくりと時間を取れないのだが、いろいろ思うところがあるので書き留めておきたいと思っている。
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3件のうち2件が終って、今は最後の用件に入ったが、これはいつもの「教えない塾講師」のアルバイトだ。拘束時間は3時間と長いが、2時間50分ぐらいは、問題集と取っ組み合いをしている塾生を尻目に見ながら、自分のために好きなように時間を使うことができる。残りの10分ぐらいは塾生の質問に答えるための時間だ。ほとんどは数学か英語。筋の悪い入試専用問題みたいなものが持ち込まれることも多いが、何とか対応している。火事場の馬鹿力。
という次第なので、起工式の感想文を書こうかな。
ゴミ処理施設に限ったことではなく、全ての起工式というものは宗教的な儀式だということを今更のように確認した。
今回の式の主催者は工事を請け負った業者だった。私に届いた出欠確認ハガキ付きの案内状も業者の名前で出されたものだった。式場の設営や交通整理などの式運営も業者が全面的に仕切っていた。
高校からの同級生である町長に聞いてみたところ、政教分離の原則からして、だいたいそうなるとのこと。神主を祭主としてバリバリに神道式の祭儀式(修祓、献撰、降神、清め祓い、祝詞奏上、刈初め、鍬入れ、玉串奉奠、昇神、神酒拝戴)を行うのだから、地方公共団体(今回は隣市と共同で設立した行政協同組合)が主催するわけに行かないことはすぐに理解できる。
この点は念が入っていて、実質的な施工主である首長の挨拶や来賓である政治家の祝辞などは、祭主である神官が退場した後、仕切りの幕を引いて祭壇や地鎮祭特有の盛り砂などを見えなくした上で行われる。
いやいや、神道式の祭儀式は業者が主催していると言ったって、式に誰を招くかを決めるのは行政でしょ?式にかかる費用だって結局は税金で賄われる公的なものでしょ?ということを思う。
ゴミ処理施設の起工式について書き留めておきたいことはまだあったが、続きを書いているうちに塾講師の時間が切れた。いつものことだが、筆が遅いわ。
今、家に帰ってきて、午後の紅茶を飲みながら、あらためて続きを書いている。
実質的な施主が地方公共団体である建設工事において、起工式をバリバリの神道式で行なって良いか?いや良くないんじゃない、という所まで書いたつもりだが、それで終らない。もう少し、だらだら続きます。
そもそも宗教的な地鎮祭はもちろん、起工式なんかしなくても工事は出来るでしょう?私は D.I.Y. でセメントを練る前に安全祈願祭などやったことがないぞ。
でも、独りでやる場合以外は、起工式だの地鎮祭だのをやりたくなる。やらないと気が済まない。それも事実でしょう?
それで、神道式の地鎮祭って、神官の技量やかける費用の多寡によって左右されるけれど、日常的には目にすることのないハレの日の様式美があって、なかなか格好良いんですよ。おお、美しい日本に生まれて私は幸せだ、と迂闊にも思ってしまうかも知れない美がそこにある。
あれ良いよね、自分もやりたいな、と思う人は多いと思う。