@Ksyzr 彼は論理を追っている訳ではない、という事は感じる。
正しい回答ではなく、一般的に期待されている回答を学習の結果として出してくる感じ。
ある言葉を使うのは、その言葉の意味が必要だからではなく、そういう文脈ではその言葉がよく使われるから、という思考の仕方をしていると思う。
天皇制についてちょっと批判的なニュアンスを込めて質問した時にそう感じた。
@Ksyzr 彼は論理を追っている訳ではない、という事は感じる。
正しい回答ではなく、一般的に期待されている回答を学習の結果として出してくる感じ。
ある言葉を使うのは、その言葉の意味が必要だからではなく、そういう文脈ではその言葉がよく使われるから、という思考の仕方をしていると思う。
天皇制についてちょっと批判的なニュアンスを込めて質問した時にそう感じた。
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@Ksyzr でも、ある程度知っている専門領域で、あれ、どうだったかな、みたいな質問をすると、笑ってしまうほど的確な回答が出てくることが多い。Wiki や Google 検索より、実務に使えると思う。
@moran_aoki @Ksyzr
絵画の場合、イディオムを駆使して、と言うか、イディオムと若干の偶然性だけを組み合わせて出してくる感じがありますね。
@moran_aoki @Ksyzr モチーフだけでなく、色使いや線の描き方とか面の塗り方みたいなところまで、イディオムとして学習済みであるように感じます。
この国の人間は、ロジックないですよ。感情もない。システムの代替執行ロボでしかないのだが、そのシステム自体が大変いい加減。
小中高で常に既に
「間違ったことをしてはならない。ただし何が間違っているかはその都度こちらが判断するので、何が間違ってることなのかをお前が考える必要がない。ただし、お前が責任を取る必要があるときはお前が自主的に考え、行動した結果、間違えたことにする」
という教育を脊髄反射レベルまで叩き込まれてる。だから徹底して「空気に従う」しかしない、できてない。
ってことはこれを実際に変えてためにはロジックでも感情でもダメで空気をつくんなきゃいけない。でも、文句を言うくらいはしても、それができる人が圧倒的に少ない。もっと強く、大きな声でハッキリと、しつこく、相手が不安になるように正しさを語れ。
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@moriteppei 確か、「障害」は元は「障碍」の代用ですね。当用漢字表による漢字制限のために「碍」を使わずに済ませたのだと記憶してます。
「害」は「そこなう、傷つける、ころす、わざわい」、「碍」は「さまたげる」で、元々は使い分けられていたのに、第二次大戦後の国語改革で漢字の簡略化や使用制限が行われたときに、「碍は害で置き換えたらええやん。意味もまあ大体似てるし。もう使わんことにしよ」ということになりました。「妨碍は妨害、阻碍は阻害、障碍は障害。ええか。え、融通無碍?それは、、、元のまま」と。そういうひどいルールが教育と報道の現場で強制されたんです。
まあ、愚劣な暴挙ですよね。
そんな訳で、長い歴史を持つ漢字・漢語のシステムの中で見る限り、「障害」より「障碍」の方が良いと言えるでしょう。「害」という字に対する嫌悪感も、その字が使われる熟語を列挙してみれば、当然であることがすぐに納得できると思います。
しかし、言葉は時代によって意味が変りうるものなので、私たちは皆、同時代に生きる人たちに通じる言葉を使わざるを得ないんですよね。
(続く)
冷遇された結果、「碍」という字は「さまたげる」という意味を喚起する力を失ってしまっているから、大多数の人は「障碍者? あ、障害者のことね」と、一般に流通している言葉に置き換えなければ、すんなりとは理解できないでしょう。
残念ながら愚劣な国語改革が成功して「障害」という表現が定着してしまった以上は、そちらを使う方が良いという考えにも一理あると思います。
あ、「障がい者」は、どっちに転んでも落第。二字熟語の一字だけを仮名で書いて、何のメリットがあるん?単語として認識しにくくなるだけやん。
と、以上は、素人が言うことですが、言語論的な考察です。政治的な正しさについては、これを踏まえた上で、別の観点から考える必要があると思います。
例えば、あなたが支持する政治家には、どの表記を使って欲しいか。または、あなたが障害者について何か書いて友人に読ませたい時、どの言葉を選ぶか。政治的マーケティングとして、どの言葉がより有効か。
(ポリコレって、実はそういう事ですよね)
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今日は一日、備中鍬をふるって、トラクターでは耕耘できない田の周縁部を耕す作業をした。「すまかじき」という。「すま」は「隅」なのだろう。
田の周囲で草が新しい葉を伸ばして、景色を冬枯れの色からやわらかな緑に変えていく。一昨日よりは昨日、昨日よりは今日と、緑が元気になっていくのが、さして注意深くない私の目にも明らかに分る。
おお、また草刈が出来る季節がやって来たぞ、喜べ。
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