以下の事情から、SNSへの直接投稿は控え、別にコンテンツを一箇所にまとめておくことで、コンテンツの再利用可能性を高めたほうがいいと思う。
①SNSは既にコンテンツ過剰であるため、人間の可処分時間に比してドロップされるコンテンツ量がオーバーフローを起こしている。そのため投下しても必要な人に見てもらえる可能性が低くなっている。投稿の流速が以前よりもさらに速くなっている。ゆえに何度も同じ内容を投稿する必要がある(してよい)。
②SNSでは話題に蓄積が見られない(ずっと同じ箇所でくるくると同じ話をしていたり、インセルがずっと「男女論」(なんだそれ)とかやっていたりする)ため、同じ話をこちらも何度もしなければならなくなる/したくなる。
③プラットフォームの継続性、将来性が不透明。特定のプラットフォームにコミットしても、そのプラットフォームが安定してサービスを将来にわたって提供してくれるかわからないし、コンテンツを外に持ち出せるようにしてくれるかわからない。
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いけないことをしようとしています。謎の保温水筒の中には予備の麦焼酎がオンザロック状態で待機しています。既に板ワサ一切れ食べました。美味しい。いくらでも行けそう。法事の引出物として貰ったものだから、物が良いみたいです。あかん、止まりません。
どうしよう?もう一つ切ってきましょうか。(誰に相談してます?)
ますますいけないことをしています。写真を撮るまでに3切れ食べました。醤油もワサビも要りません。酔いがまわって来たのかもしれません。
この頃は、特に用事が無いときは、朝から夜まで二階の狭い部屋で PC の前にすわってプログラムを作成している。
正午になるとMさん(母)が、夕方になるとNさん(妹)が、食事の時間を告げに来る。そう、私は食事の準備を自分でしない。罰当たりな私は、え? もう食事の時間か? 面倒臭いなと思いながら階下におりて食事を摂るのである。
前の職場に勤めていた頃は、夕食以後の夜しか自分の自由になる時間が無かった。休日も、集落役員の仕事でつぶれる事が多かった。
プログラムの作成には、ある程度以上のまとまった時間が必要だとあらためて思う。考え続けて、熱中して、ハイになるだけの時間の長さが必要なのだ。
芸術家、職人、学者、、、あまり縁が無いのでよく知らないが、頭を使う創造的な仕事はどれも大体同じような事情なんじゃないかと思っている。
いや、頭を使うことの出来ない単なるルーチン仕事なんて、そうそう無いだろう。創造的な人はどこにいても創造的に仕事をするんだろう。
とは言え、職業や境遇による差異は確かにあるよね。
それで、だな、私は今、かなり幸せであるよ。(何だ、その語尾は?)
@Ksyzr レーバーケーゼ? 食ったことない。美味いの?
これか
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%BC