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私が理解できる限りでは、家父長制にはいくつか良いところがある。
一つは、そうでなければ完全な実力主義によって組織統率者の後継者を決定しなければならない、という非常に困難な問題を回避するのに有効な制度であるところ。
選挙で後継者を選ぶという方法は、なかなか上手く機能しない。上手くいくのはカトリックの教皇選挙ぐらいで、それは、彼らには子が無いからだろう。
もう一つは、家業という概念と結びついたときに、何らかの価値を世代を超えて保守するのに向いているところ。「道」と名が付くような伝統的な芸事の世界では特に。
人が現役でバリバリ働ける年数は30年ぐらいでしょう?それ以前は見習いだったり下働きだったり、それ以後は若い人に道を譲って一歩引いたり。うまく世代交代しないと老害と呼ばれる。そのバリバリ働いている期間に、家業という意識が有るか無いかで違いが出てくると思う。現時点における最高の成果だけを考えるのではなく、御先祖様たちが何を大切にしてきたかを考えたり、子孫たちをどのように育てるべきかを考えたりするという点で。
そういう安定性、継続性の面で家父長制は優れていると思う。
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しかし、水呑百姓およびその現代における同類に分類される人が個人として家父長制を信奉せねばならない理由というのは、どうだろう、無いんじゃないか。自分の生活を捧げるだけの価値をあなたの家は保持しているのか、ということで。
しかし、それ以前は家の墓などというものを持たず、先祖が誰なのかもあまり意識していなかったかもしれない庶民に、江戸幕府が家という制度と先祖崇拝を教えたんだよね。それぞれ、特定のお寺に檀家として所属させて、死んだら戒名を付けて墓を建てさせて。
おそらく、それが江戸時代の安定性に大きく寄与したのだと思う。うまく機能したのだと思う。
だから、現在に至っても、家父長制は庶民レベルでもずいぶん広く深く浸透していると考えなければいけない。
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タブレットアームを使ってベッドで電子書籍を読み始めてから読書量が増えた。寝落ちしても元のページに留まってくれるのが有難い。
あれと、フォントのサイズを自由に変更出来る電子書籍は、老人を自由にする。お奨め。(まだみんな要らんか?)
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今日は標高1,005mの山頂までバディのT君と二人で動力草刈機を担いで登って草刈をした。
途中まで山の作業道を軽トラックで登ったので、T君は楽に登れて良かったと言ったが、私の体力にとっては限界を超えていた。それでも登り切って、おまけに草刈までしたのは火事場の馬鹿力と言うか何と言うか分からない。
何でこんな事をするかと言うと、登山道整備の名目で集落に町役場から補助金(みたいなもの)が出るからなのです。
参加者には日当を出すのだけれど、誰もやりたがらない。仕方が無いので、役員の中で一番若いT君と区長の私が引き受けた次第。
いやー、きつかった。