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今日のお昼ご飯。
にぎり飯と汁だけの質素な食事だと思うでしょう?ところが、どっこい、この汁には肉が入っておるのです。それも豚肉ではなくてイノシシ。
旨かった。お替りしました。たったの500円です。
石積みワークショップ
うちの村に移住してきたMさんが主催した、石だけを積んで垣を作る昔ながらの技法を学ぶワークショップ。
20名あまりの参加者があった。遠くは長崎県や和歌山県からも。
さすがに疲れた。年寄りの私には重い石を扱うのはきつかった。でも面白かった。
一番面白いと思ったのは、参加者のバラエティーの豊かさと能力の高さ。みんな、指示待ちをせずに自分で考えて好きなように仕事をする。けれど、初めて会った隣人とコミュニケーションを取って協力し合うし、講師の教えには素直に従う。疲れたら勝手に休む。みんな凄いなあと感心した。
夜食を食いたい気持ちはあるが、体重が減りかけているので、節制を続けたい気持ちの方が強い、かな?
何かよく分らないが、コーヒーに砂糖を入れるのをやめて、自販機で買うのもブラックだけにしたら、目に見えて体重が減りかけたのです。コーヒーが大好きで一日に何杯も飲むので、砂糖を入れるか否かでカロリー摂取量が結構ちがう、という事なのかな?
気が変らないうちに寝ます。
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Tさん(妻)とハーバーランドへ行って映画を見た。私は、北野武の『首』、Tさんはジェラルド・バトラー主演の『ロスト・フライト』。上映時間が重なったので、お互いに、観たいものを観たのだ。
『ロスト・フライト』は面白かったそうである。
『首』は、微妙だ。
面白かったか?うーん。そんなに面白くはなかった。
つまらなかったか?うーん。つまらなくはなかった。
好きか?これは、はっきりしている。好きではない。もう一度観たいとは思わない。
この映画で、胴体から切り離された首を何個見ただろう。首は生きていた人間の亡骸の一部ではなく、ゲーム盤上から取り除かれる齣の記号だ。
この映画の主眼は、人が人の生命をどれだけ軽く扱うことが出来るかをリアルに描写することにあったのだと思う。それも、同情に満ちた人間的な視線でもなく、冷酷非情な非人間的な視線でもなく、あっけらかんとした乾いた視線によって。それは成功していると思う。それが面白いと言えば面白い。しかし気分は悪い。
もう一つ、衆道が果たしたであろう役割を正面切って描写しているのも面白い。大河ドラマでは有り得ないことだ。
夏目漱石『虞美人草』
やっと読了した。
虞美人草は、ポピー、ヒナゲシか。
だんだん慣れてくるけれど、地の文が技巧的に凝っているので、けっこう読みづらい。会話の文はすらすらと読めるので、地の文を『坊ちゃん』並みとは言わぬまでも、『猫』ぐらい読みやすくしてくれていたら、この小説はもっと人気を博しただろうにと思う。
面倒くさがらずに地の文を読み解いて、会話文と合せて再構成してみると、物語の基本的な構造は意外とシンプルで分りやすい。夜のテレビ・ドラマの脚本にしたら受けるのじゃなかろうか。
「富貴」の神と「真面目」の神のどちらに付き随うのかというテーマ。単純化しすぎか?でも、まあ、そうなのだ。
それにしては、富貴でなければ許されない風流な趣味についての記述が濃厚すぎて辟易する。
また、物語にふさわしい結末を付けるように動いたのは、富貴でありながらも真面目である人たちであった、ということも、気になると言えば気になる。
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ケヴィンケリーの本、(同意するとかしないは別にして)超超必読書だと自分は思ってるんだが、読んでる人どれくらいいるんだろう。ましてやリベラルとか左派を自任してる人で読んでる人って。https://amzn.asia/d/1N88Cbz
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私が理解できる限りでは、家父長制にはいくつか良いところがある。
一つは、そうでなければ完全な実力主義によって組織統率者の後継者を決定しなければならない、という非常に困難な問題を回避するのに有効な制度であるところ。
選挙で後継者を選ぶという方法は、なかなか上手く機能しない。上手くいくのはカトリックの教皇選挙ぐらいで、それは、彼らには子が無いからだろう。
もう一つは、家業という概念と結びついたときに、何らかの価値を世代を超えて保守するのに向いているところ。「道」と名が付くような伝統的な芸事の世界では特に。
人が現役でバリバリ働ける年数は30年ぐらいでしょう?それ以前は見習いだったり下働きだったり、それ以後は若い人に道を譲って一歩引いたり。うまく世代交代しないと老害と呼ばれる。そのバリバリ働いている期間に、家業という意識が有るか無いかで違いが出てくると思う。現時点における最高の成果だけを考えるのではなく、御先祖様たちが何を大切にしてきたかを考えたり、子孫たちをどのように育てるべきかを考えたりするという点で。
そういう安定性、継続性の面で家父長制は優れていると思う。
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しかし、水呑百姓およびその現代における同類に分類される人が個人として家父長制を信奉せねばならない理由というのは、どうだろう、無いんじゃないか。自分の生活を捧げるだけの価値をあなたの家は保持しているのか、ということで。
しかし、それ以前は家の墓などというものを持たず、先祖が誰なのかもあまり意識していなかったかもしれない庶民に、江戸幕府が家という制度と先祖崇拝を教えたんだよね。それぞれ、特定のお寺に檀家として所属させて、死んだら戒名を付けて墓を建てさせて。
おそらく、それが江戸時代の安定性に大きく寄与したのだと思う。うまく機能したのだと思う。
だから、現在に至っても、家父長制は庶民レベルでもずいぶん広く深く浸透していると考えなければいけない。
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タブレットアームを使ってベッドで電子書籍を読み始めてから読書量が増えた。寝落ちしても元のページに留まってくれるのが有難い。
あれと、フォントのサイズを自由に変更出来る電子書籍は、老人を自由にする。お奨め。(まだみんな要らんか?)
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今日は標高1,005mの山頂までバディのT君と二人で動力草刈機を担いで登って草刈をした。
途中まで山の作業道を軽トラックで登ったので、T君は楽に登れて良かったと言ったが、私の体力にとっては限界を超えていた。それでも登り切って、おまけに草刈までしたのは火事場の馬鹿力と言うか何と言うか分からない。
何でこんな事をするかと言うと、登山道整備の名目で集落に町役場から補助金(みたいなもの)が出るからなのです。
参加者には日当を出すのだけれど、誰もやりたがらない。仕方が無いので、役員の中で一番若いT君と区長の私が引き受けた次第。
いやー、きつかった。
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少年は自宅廊下の曲がり角をショートカットしようとして足の小指を思いっきり強打したそうだ。まあ大丈夫と思っていたが足が腫れてきて熱を持ち始めたのでどうやら骨折したらしい。救急外来を受診するために父親が運転する車で去って行った。
何でも少年の母親も同じ場所で足の小指を骨折したことがあるそうで、笑っちゃいけないんだけれど笑った。
あれ痛いよねー。誰に対して腹を立てて良いか分らないので余計に顔がゆがむ。