ところで、「リスキング」「リスキニング」「リスクキリング」に加えて、「リスキミング」も見つけた。無責任に楽しい。
新しいことを知れて、物の見方が変わっていくのが、ただただ無責任に楽しい
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知ったことを使ってなんかしら自分も新しいものを生み出したい
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思ったようにいかなくてつらい
の最後の段階を乗り越えて、どんなにささやかなものでも自分の手で生み出すことができれば、そこでようやくわたしにとっての幸福が訪れる、という感じ。
これを、いろんな場面や題材で日々やりつつ、それぞれの楽しさと大変さのバランスをとる、みたいな。
わたしは今の仕事がそこそこ気に入っているので、仕事関連の勉強はほとんど勉強とすら思わずにやってるけど、それで毎日ハピハピ☆ハッピーかというとどうだろう。
稼ぐことに直接(まったく)つながらないことを無責任に学ぶ方が、楽しさで言ったらぜったい上だよね。とはいえ、それも深めていけばしんどい山は訪れる。
自分の人生は自分しかつくれないから、総合的にいちばん幸福になれそうなバランスを、ずっと探しながら生きてる気がするな。死ぬまで探してそう。
そりゃまあ、やらされ感なくやる気にならないと楽しくないし、どんどん学びを広げていこうという好奇心も起こらないから「それはそう」なのではあるが。
新しい職業/変革した今の職業や、それに就いている未来の自分の姿に、何かしら前向きな希望を持てることが大事だよね。
「新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得する/させること」(経産省によるリスキリングの定義)という時点で、それがどれほど「主体的な学び」になり得るか問題。
https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/digital_jinzai/pdf/002_02_02.pdf
@shunkuriyama どういたしまして! これから報道機関等の公式アカウントができたら、それも同じ別アカでフォローしていこうかなと。
あれ、地震情報こないね。のえるさんは地震かな? とおっしゃってるので、揺れたように感じられたのはうちだけじゃなさそうだけど。
そもそもスキルが足りないと決めつけて賃金上昇のための努力を労働者に転嫁するな、ましてやいちばんしんどい産後/乳児育児中の時期にまでとか論外、まず手持ちのスキルが正当に評価されずに不当な待遇を受けてる現状をなんとかしろ、というあたりが議論の中心になりつつあるときに、自分(や配偶者)はこんなにがんばった的な隙自語をぶちこんで、できないやつらは足を引っ張るなと主張するのは、理不尽な社会構造を肯定してそれに乗っかりながらホメてホメてしてるようにしか受け取られないのに、それすら見えなくなってる人たちは、何を「学んだ」んだろうか。
それだけ自己研鑽に励んでなお、自分より困っている人たちの声を優先するのではなく、自己顕示が先立ってしまう人たちが出てくるあたりが、もう世知辛さのあらわれではあるか。