翻って言えば、世の中の大半の人は古いドキュメントの蓄積にアクセスできなくなることをとりたてて気にはしていないし、もっと言えば WWW を WWW として理解していない
翻って言えば、世の中の大半の人は古いドキュメントの蓄積にアクセスできなくなることをとりたてて気にはしていないし、もっと言えば WWW を WWW として理解していない
既存の文書群の URL を URN なり CID なりにコストかけて置き換えてまで嬉しい人が商業上とくにあんまり居ない、につきるのでは。技術や体系として理想なものが使われるのではなくて、インセンティヴがあるものが使われるので
これはそうだけど、発展の途中でURNの議論が発生して場所の論理とコンテンツIDが明確に区別されたのに、URN的な発想を仕組みとして組み込むみたいな方向にはあまり発展しなかった。まじでこれからなのかもしれない。
1991 年はともかく World Wide Web やその前身を Sir. Tim Berners-Lee がつくりはじめたころはインターネットはまだ研究機関・大学の相互ネットワークに過ぎなくて、workstation も登場していたとはいえ基本はドメインがそのまま組織を示していて、メールアドレスはそのドメインに所属するユーザーアカウントと 1:1 だった牧歌的な時代なのだから、研究者が整理したドキュメント郡を外部に expose したい、という要求だけならべつに十分そうでもある
ザナドゥ計画はともかく、1991 年時点でハイパーリンクという概念自体についてとりあえずデモ実装して動いてるところ見せます、で「場所の識別子をクリックしたらその場所自体にジャンプします」が見せられればよいのだから、そこで使われるかもわからん謎の抽象化ができると思うほうがかなり困難な想定な気がする
URLが場所にリンクするようになった経緯、なんだろうな。そもそもコンテンツIDのようなもの(コンテンツIDがあるコンテンツを指ししめす)であるべきだったとおもうんだけど。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。