あんまり長いと正式名称完全無視キラキラネーム愛称の危険もありそうだけど><;
駅名とかが政治的な配慮でくっつけただけの長い名前になる現象、カタカナひらがなキラキラネームバリアの機能があるんじゃないのかなって気がしてる・・・><(長すぎてキラキラ部分をつける余裕が><)
Windowsのスタートボタンに限って言うと、実際に操作させてどう行動するかを観察して決定されたデザインといわれてるからそういう意味でも必然的と言えそう>< 変形としては(それはアイコンの慣れが必要だったと言われてるけど)ハンバーガーメニューも同系統のデザインかも?><(もっと遡るとWindowsよりも前からあるデザインだけど><)
(UXに話が寄りまくってるけど一応Windows10の話の場合はUXだけじゃなくAPIとかの挙動の約束も含めて信用出来ない状態になったって話・・・>< だけど、UXを主題にする方がわかりやすいしデザインの事例がたくさんあっておもしろい><)
うん><; でも基本的なUXはある程度長期的に約束できると思うよ>< 例えば、Windowsは95でした「大きな操作をする時にはスタートとかかれたボタンを押す」って約束をXPまではそのままで、7まではWindowsロゴボタンにオーバーラップさせる変更で約束し続けたんだし><(で、8で破ったけど今また約束してる)
おそらく制約の中でのデザインの完成形だと自動車のワイパーや雨の時にさす傘とかになるんだろうけど、OSはそこに至っていないというか、至るわけがないというか
もちろんデザインは人間がなにも考えなくても分かるに越したことはないだろうけど、結局人間は変わるというか時代もあるし変わるのは当たり前なので、それを言うと過去の否定も当たり前であると思う
そう考えると、(強い意味での(?))デザインする事=過去の否定をする事 とも言えそう><(そのままで良いならそのままで作り続ければ良いんだし><)
オレンジ的には、必然的に決まり、それが約束されるデザイン が正しいデザインって考えてる><
例えばさっきのノーマンの本で例として出されてるドアのパニックバー(火事とかの非常時にバーが押されると開く仕組み)とか、群衆に押されたら開く必然的なデザインで、ドアが開くことを約束してる><
そもそも私は良いデザインはない(語弊のある表現)と思っているので、説明されたところで別にって感じですね
・・・となると、発端の話のwindows as a serviceのようなものは(ひとつレイヤが上がるけど)デザインとして正しいのか?>< ってなっちゃう><
常に過去の製品デザインとして否定され続ける><
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デザインで「良いデザイン」を思いついても、それが長く通用しなかったのであれば良いデザインでは無いかも><
(ただ、当たり前だけど技術的制約のような理由はある程度仕方ない>< 例えばコスト的にCRTしか現実的に選択できなかった物がLCDやOLEDに変わって形状が変わったみたいな事は失敗とは言えない><)
オレンジがApple嫌いなのも、そういう意味でデザインの誤りを認めないでコロコロ変えるから><(つまり、デザインで約束を果たせてない(あるいは約束していない)=デザインを失敗し続けてる とオレンジは解釈する><)
そんな感じ><
「一昨年までの仕様はこうで、去年の仕様はこうで、今回はこう変更するんです!」
「つまり、去年の仕様は間違ったデザインだったんだね?>< 先にどう間違えていたか説明したら?><」みたいな感じ><
(実際にやってる例としては、MSのデザインガイドラインでダメな例として古いバージョンのペイントを例にしてたり><)
なんというか、"仕様変更したのであればそれは失敗だったのだからなぜそれをこうしたのかを説明しろ"みたいな…?
むしろ失敗なのは当たり前なんだけど、ユーザ側はその失敗を受けたくないということなんだろうか、それともその仕様変更の妥当性を証明しろ、ということなんだろうか
コロコロ仕様が変わる=その仕様には必然性は無かった(=結果的にそのデザインは正しくなかった) みたいな考え方><
試行錯誤は必要な事だけど、その中での失敗は失敗だよと言いたい><
オレンジが作ったソフトウェアってユーザー少ないからあれだけど、
それでも自分以外の誰かが使いはじめる瞬間からそこにデザインの約束が発生するので、仕様の約束ができないと考えてる間はリリースしないし、設定ファイルとかは必ず最初に公開されたバージョンの物も読めるように互換性維持する><
誰のためのデザイン?は良い本。
日記: 「誰のためのデザイン? 増補・改訂版」読了
http://diary.osa-p.net/2015/09/blog-post.html
参考文献のようなもの書くだけだとなんかフェアじゃない気がするので、前に自分で書いた言葉をそのまま引用すると><
"デザインは約束でもあるから、守れない約束は気軽にしてはいけない>< 大きく変更するのであれば、その変更には必然性が無ければいけないし、そしてその新たな約束は守らなければいけない>< 保守的であれば良いわけでは無く、保守的であれば後に変更の必要が多くなる事も考えないといけない><"
一応、参考文献のようなものとして、ノーマンの『誰のためのデザイン?』の増補・改訂版の方の3章と4章辺り><(雑)
LTSB前に欲しいと思って調べたときに今はどうかわかんないけど3個セットじゃないと買えなくて「・・・><;」ってなった><
組み込み向けのエディションの方はライセンス的に通常のデスクトップOSとして使うのはダメってなってたかも><
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(他の多くのソフトウェアもだけど)セキュリティ関連のパッチとUXに関する変更がごちゃ混ぜになってる現状がおかしい><
それに加えてWindowsに限定するとパッチの内容説明で平気で嘘を書くからさらにおかしな事になってる><
パッチ拒否はセキュリティ上難しいというか、MSとしてはWindowsはバカも使うから個別のパッチ拒否をするのは本当にセキュリティ的に厳しいからしかたない気がする
どのパッチを当てるか選択権があるOSはたくさんあるし、Windowsでさえも8.1までは多くのエディションで個別にパッチを拒否できる><
使いやすいかどうかはその人によるから、ある程度使ってから言ったならいいんじゃない?と思います、サポート切れない限り無限に使うといいと思います
windows as a serviceだから「windows 10使いやすいよ?」みたいな話も凄く意味がなくなってしまう><
その「使いやすい」仕様ってそのバージョンの話であって、明日のもその使いやすい仕様であるか全くわからない><
windows 10ものすごく嫌ってるというか無視してるけど、理由はwindows as a service(=MSの気まぐれで自分が書いたコードをいつゴミにされても文句言えない)だから><(刺々しい話題)
今、オレンジのこの話し方(?)がそれでいうツイッターの方>< なんかこういう風に議論(独り言での考察含む)みたいな使い方しづらい空気に(どこのインスタンスでも)感じる・・・><
ツイッターとの場合は、TLがひとつでも、ふたばとかのスレッドみたいな感じで複数の話題の流れがある感じ(うまく言葉にできない><;)だけど、マストドンは、ひとつの部屋(?)と個人(的話題)の2段階みたいに感じる・・・><
フォローの具合の違いだけなのかもしれないけど、マストドンって居る人が仲良く和気藹々(?)としてる様に感じて、ツイッターは、各々が「こんなことあったんだけど!?」とか、話題が個人の体験や感想(?)から出発してるように感じる・・・><
あと、なんかよくわかんないけど人少ない時でも刺々しい事が書きにくい><;(オレンジの刺々しい話題って、例えばデザインが><# とか )
ツイッターとマストドン比較すると、ツイッターの場合はその場の空気みたいなのが無くて、マストドンはローカルと連合にエアリプで会話する人が(今までアカウント作った4ヶ所?では)どこのインスタンスでも多いから、それがその場の話題みたいに感じて、他の話題で盛り上がってると、全然違う話題書きにくい・・・><
https://twitter.com/8796n/status/897996995901628416
みんなMastodonにいるだけなんだよなぁ