ひとりファミレスにゃん
最近気づいたんだけど、自分はちゃんとしたベッドで寝ないと体をこわして死ぬので、次住む場所は多分もっと広い寝る場所も本棚も広い机もVRスペースもくつろぐスペースも確保できる場所にします。
なんか、「頭のよい人は、悪い人は」みたいなものってよくバズったりするけど、実際のところどーなんでしょうね。結局自分がいかに頭のよい人だということのアピールか、自分が成功できないってことに対する合理化に付き合わされているのではという気分になったりする。ま、それが役に立ちゃーいーか。
EvernoteもOneNoteもそうなんだけど、メモ取るサイトってなかなか使う習慣つきづらいよね。なんというか、きちっとしたフォーマットで書かないとって気分になってしまって雑なのが書けない。
「好きを仕事にする」みたいな言葉あるけど、コンピュータ使う仕事ってってそういう括りにできないような気するよねー。イマドキどんな職業だろうとコンピュータ使うしねー。自由帳にお絵かきするのが好きだった人が文字を書く仕事に就いて「好きを仕事にした」と言うかというような問題。
やはり自分には誰にも邪魔されず、一人で考える職業が向いてるなーと思いつつ、そんな職業イマドキレッドオーシャンなモノしか思いつかないぞーという。
なつかしいなー。親はまだネットワークの普及していなかった時代のコンピュータの知識について自信があったらしくて、当時は「ニンゲンと違ってコンピュータは待ってくれるんだから」ってのが口癖だったっけ。残念、今の時代コンピュータの向こうにニンゲンが居るのダ。
当時自分はPCを使う時間、ゲームをやる時間を極端に絞られていたから、こっそりPSPを持ち出して聞いていたのだった。たまにバレて没収されたけど。
実際、自分は中学生の頃ずっとLivedoorねとらじ、今はFC2に移管されたんだっけ。を聞いていたんだけど、何で聞いていたかって言うと、PSP。思い浮かべると笑っちゃうなー。それでねとらじの番組を再生しながら、2chとかしたらばとか見てた。ブラウザアプリだったから、裏で別サイトが表示できたのだ。
一人になりたいー、と思いつつ、いざ一人になると寂しくなる謎のニンゲンの性質ってあるよな。そういうときは、カフェとか、電車の中とか、誰も自分を気にしていないのが分かっている場所にいるに限る。オフィスとかだといつ誰が自分の話をしているかどうか気になって自分の世界に引きこもれないし。
自分の花粉症ってまだまだ軽いほうだったんだなーと思う今日この頃。ただ、この前金沢行ったときにクソ強く症状でたし、自分が引きこもってるのが症状軽い原因というのもあるか。
最近雑に考えてるけど、ネットラジオって復権してもよいよなーっていう。ただ、今だったらそういうのやりたがるような人たちって気の合う仲間と内々でボイスチャットしちゃうのかな。
一見矛盾してるけど、たぶん「一芸で気を引いて、自分が気になっている人に振り向いて欲しいけど、悪目立ちしたくない」みたいな感情だよね、それ。
最近「陰口」について考えている。陰口を言っているのを聞くとムカーッと来るから、それをどこかで友人にグチりたくなるよね。でも、それってやはり「陰口」の定義に当てはまるわけで、それを聞いた友人はそれを別の友人にグチりたくなるかもしれない。負の感情の無限ループ。