ラメーン発見伝読んで味噌はそれ自体旨味と風味が強いのでスープ自体の風味を上書きする場合がある的な話見て昔の袋ラーメンかフードコートしかなかったとき味噌ばかり頼んでたのなる程ですわ〜
今は袋も美味しいし色々チャレンジしてるので
ラメーン発見伝読んで味噌はそれ自体旨味と風味が強いのでスープ自体の風味を上書きする場合がある的な話見て昔の袋ラーメンかフードコートしかなかったとき味噌ばかり頼んでたのなる程ですわ〜
今は袋も美味しいし色々チャレンジしてるので
北海道旅行、札幌だけでも三泊四日食べ歩きで潰えましたわ
蟹…ジンギスカン…寿司…バターコーンラーメン…スープカレー…海鮮丼…乳製品…ロイズ…セコマ…
相性と言えばこちらの桃🍑+モッツァレラ+山椒がですの
桃にこんなに山椒が合うなんて知りませんでしたわ…夏になると作りまくってますの
これから夏なので是非是非
https://twitter.com/Tam30929/status/1160425303841206279
ユニクロのシームレス下着が街中歩いてて突如分解する話
https://togetter.com/li/2366881
Mastodonには検索されないためのオプションがあるのでおそらくそれですわ〜
Misskeyからの検索に引っかからないのは単純にそのMisskey鯖にその投稿が配信されてないからかと 照会で取り込んであげれば引っかかるかも
RE: https://nijimiss.moe/notes/01HY4W0VGX7DPWXGWEDMEWQ6D1
滅やばたにえんのゾンビグレースと化物リチャードがようやく再会して抱き合った瞬間サテライトビーム食らうENDが好き過ぎて…となりますわ
以下Twitterに色々書いたもの(散文)
明治~昭和初期の硬派男子と少年の男色文化はやっぱり元々源流がある文化で、その「文化」を持っていない層の、例えば兵営や戦場での機会的同性愛とかとはやはり少し趣が異なるのですよね(まあ徴兵は義務なので勿論持った層もいるけれど大半は) 肉欲の伴う性欲の発散とは言えないような関係も多くて
薩摩隼人に囲まれて育った白州さん著書で賤のおだまきに触れて"文学などとはほど遠い地で、少年の美貌を語ろうにも百人一首を引き合いに出さなければ語れないような稚拙な"とむしろそれらしくて 薩摩では元旦に一番に読むと言うほど気合いを入れて読まれていたというし、全部暗唱してた人らもいたとか
勿論逸脱も多いけれど士道が元のは精神的な繋がりや互いの切磋琢磨の推奨みたいなところから来てるので…賎のおだまきは三五郎物語を元に明治のこれからの男色についてその辺を戒めているわけだし(義もなしに男色に溺れれば倉田某のようになる、とか)
賤のおだまきも薩摩心中も明治期の硬派男児の愛読書だったけれど、その終わりが両者の死となるのは士道を高め合うための男色が推奨され理想とされながらも明治の時代にその関係はある種のファンタジーだから…的な論もある
明治期に「恋愛」という新しい言葉ができたところも面白い
大正以降だとまた趣が変わってくるけれど、明治期の青年×稚児の少年の男色は「男色は心身の成長のためにも良いものだ」みたいな意識がそのソーシャルで共有されてる感じで肯定的だったりして
明治15年ぐらいの幼年学校は三浦中将の自著によると毎晩のように士官学校生徒が柵を越えて隣の幼年学校の生徒を襲いに行くので柵を高くして欲しいと嘆願を受けて逆に柵を撤廃し幼年学校生徒へ「みすみす陵辱されるような者は軍人に向かん。武器持っていいから反撃しろ」と命じてその後はなくなったとか
そういえば男同士の性交が法的に禁止された鶏姦罪は明治15年廃止なのでドンピシャな頃…
三浦中将の回顧録はデジタルで読めます https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019972/84
薩摩男児がこぞって読んでいたという男色小説「賤のおだまき」 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/881187 現代語訳も出版されています
明治の学生間の男色の様子の垣間見れるヰタ・セクスアリスは青空文庫にあります → https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/695_22806.html
そういえば樺山大将の孫で白州次郎氏の妻の白州正子さんも著書で触れてらした三島章道のよかちごの死、kindleで買えるようになっていたので https://read.amazon.com/kp/kshare?asin=B07LBXZXHH&id=E0DmzEOHTcqzpA69Mv-fXA 西郷どんの稚児を巡った短編(大正11年)
明治~昭和初期の学生の男色事情、狙った美少年(下級生)の落とし方が結構えげつなくて 「概して十四五歳の少年時代は誰でも物事に感動し易く、英雄崇拝的な気持を抱くものだ」これを利用します https://muchasgracias908.blog.fc2.com/blog-entry-406.html えげつないわよ
□明治17年 作者不詳 「賎のおだまき」
薩摩武士・平田三五郎と吉田清家の男色を描いた物語
青年が十以上離れた美少年へ懸想する様子や二人の想いが通じ会う様子、そして二人の最期までが描かれる 主に明治期に薩摩を中心とした硬派男児によく読まれていた
「賎のおだまき」について言及されてる明治時代の有名どころ文芸作品
■明治19年 坪内逍遙 「当世書生気質」
硬派の桐山が所持、 洋書よりも擦り切れ何度も読まれているらしい
「女色に溺るるより龍陽 (男色)に溺るるほうがまだえいワイ。 第一互いに智力を交換することも出来るしナァ、かつは将来の予望を語りあうて、大志を養成するという利益もあるから」■明治35年 内田魯庵 「社会百面相」
林 「俺は、 男色宗だ。 男色は陣中の徒然を慰める戦国の遺風で、 士風を振起し国家の元気を養ふ 道だ。少くとも女色に耽るものもの柔弱を救ふに足る。 賤の小田巻を読んで見い。今の柔弱な 恋愛小説と違って雄心勃々として禁ずる能はずだ」■明治42年 森鴎外 「ヰタ・セクスアリス」
「平田三五郎という少年の事を書いた写本があって、それを引張り合って読むのである。 鹿児 島の塾なんぞでは、 これが毎年元旦に第一に読む本になっているということである。」この頃(明治後期)はまだ東京と言っても空き地、原っぱが多く、当時の新聞にも度々事件の記事が載ります
中学生の頃母が綺麗な日本語使いたかったら三島由紀夫の春の雪を読みなさい、と言ってたので後から読んだら中学生に何勧めてるんですか!ってなりましたわ
実家帰ったときゲーテの君を知るや南の国を暗唱したらママンも暗唱出来たのでこの親にしてこの娘有りですわ…
私は高橋健二訳、母はおそらく森鴎外訳なのですけども
本物後鳥羽上皇
・飛ばない
・壁に張り付いたりしてない(多分)
・黒光りしない(多分)
・脂ぎってない(多分)
難しいですわね…🤔