富士フィルムの昔の紙袋、何もかも懐かしい…。
1870年に宣教師メアリー・E.キダーによって現在のフェリス女学院大学が開設され、女学生が誕生。女学生として通わせるのは家に余裕がないとできないので特別な階級として洋装を推進する機運もあってドレススタイルを採用。女学生の間で「てよだわ」言葉とかが使用されたり。「よくってよ」「いやだわ」
#ニッポン戦後サブカルチャー史
「デコる」(御洒落すること)って言葉が、かなり昔(明治?)から女学生の間で使はれてたらしい。 #ニッポン戦後サブカルチャー史
大正10年、当時世界的に流行していたファッションであるセーラー服を採用する学校が出てきた。外国人教師が海外の水兵服をモデルにセーラー服を作成。
#ニッポン戦後サブカルチャー史
戦後、女学生は女子高校生と呼ばれる様になり、男子は詰襟、女子はセーラー服が制服の基本になった。大学紛争から高校にも紛争がでてきて、高校生が制服を軍服に由来するから管理の象徴として糾弾した。
#ニッポン戦後サブカルチャー史
高校闘争により都立高校が私服可になったが、実際に自由な服が着れる様になると、1か月程度は御洒落してくるけどその後疲れて制服来てくる様になる。
#ニッポン戦後サブカルチャー史
制服を崩して着るのだとルーズソックスがやり玉にあがるが、オーバーサイズのニットも重要で、制服として指定されてるものの中で逸脱する感じだと。
#ニッポン戦後サブカルチャー史
援助交際の影響で女子高の制服を観察する視線が非難される傾向が90年代後半からでてきたらしい。 #ニッポン戦後サブカルチャー史
80年代、独自の丸文字、朝シャンの流行…。90年代にポケベル登場、数字で日本語を送る方法(11→あ)が女子高生の間で確立。 #ニッポン戦後サブカルチャー史
岡崎京子氏が『東京ガールズブラボー』『リバーズ・エッジ』などで色々描きたいことを女子高生の後ろに隠したのではないか、とのこと。 #ニッポン戦後サブカルチャー史
悠木碧『トコワカノクニ』、時々聞きたくなる。悠木さんの声だけを使って表現された静かな音楽が、綺麗なんだけどグロテスクな感じもあり、評価が難しい。でも聞きたくなるし、気づいたら終ってる。 #cdメモ
音楽って、好きだから聞くってより、よく聞いたから好きって面が大きくて、だからこそ、何度も聞き返したいアルバムに出会へるってのも偶然なんだらうなあ。
ピノキオピー「はじめまして地球人さん」のPVで、丸や直線で構成された文字がモーショングラフィックス的に出たり消えたりするの、気持ちいい。
[YouTube]ピノキオピー - はじめまして地球人さん https://www.youtube.com/watch?v=e1gY8dUfKxg
物語にはある程度の類型や定型があり、定型を知らない人は新鮮に楽しめるが、たくさんの物語を摂取して定型を知った人はその定型になぞらへて評価することがあり、目新しさが死んでいくのかもしれない。