よりもい、南極といふクソ寒いところに行っておきながら、四人のわだかまりが解けて帰ってくるってのがよいね。
1960年代は土着への回帰、西洋風な音楽へのカウンターカルチャーとして演歌が作られた。それと同様のことが渋谷系→JPopのときにもあったのではないか、とのこと。 #ニッポン戦後サブカルチャー史
DJカルチャーで既存楽曲を作り替へるリミックスが流行ったが、リミックスといふアイデアは昔からあったもので、小節の題材を古い説話からとったり、引用したり。温故知新。 #ニッポン戦後サブカルチャー史
1990年代はバブル崩壊、震災、サリン事件など社会不安を起こし、安心を与へるようなキャッチコピーが増えたと。 #ニッポン戦後サブカルチャー史
1990年代、不条理ギャグ漫画が出てきたタイミングなのか。「分かる人だけ分かる」性質のもの。ウゴウゴルーガも90年代。ラーメンズも。 #ニッポン戦後サブカルチャー史
「わからないけど面白い」って感覚は余裕がないとでないのでは、との発言になるほどなあって感じもする。 #ニッポン戦後サブカルチャー史
手で文字を書いてくと一直線にしか書けないけど、人間の意識は一直線に考へてなく話が飛んだりするので、コンピュータで文章を書くと文字の挿入や編集を後からできるから、コンピュータで文章を書くことで人々の文章に対する考へ方が変化したのではないかとのこと。ノンリニア編集。 #ニッポン戦後サブカルチャー史
演劇の世界においても、台詞とかを、現代口語、日常の話し言葉に近づけようといふ動きがあったらしい。人の鳴き声としての音。 #ニッポン戦後サブカルチャー史
北野武氏が、対象物はなるたけ動かない方がいい、動かないことで見てる人が動揺する。ギャング5人が走り回って銃を撃つと見てる人は気持ちいいかもしれないが、動かないで銃を打たなくても構へてるだけでもよい、みたいなことを語ってた。 #ニッポン戦後サブカルチャー史
モノリスのモチーフ、メンヒルって呼ばれるものが実際にあるのか。
[Wikipedia]メンヒル https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%92%E3%83%AB
オウム真理教の幹部・村井が暴漢に刺殺された事件があり、それがテレビで放映された。これを受けてある人は「虚構はリアルに負けた」といふ人がでてきた。しかし、リアルは再現性がなく、現実を皆が目撃してるわけでもないので、虚構はリアルに負けたとはいへない、と。 #ニッポン戦後サブカルチャー史
たまごっち供養は観音院って寺らしいけれど、メールで参拝できるとか面白い。 http://www.kannon-in.or.jp/
チーマーが渋谷を拠点にしてたり、津田沼でチーマーが「渋谷から来た」って言ってカツアゲしたり、渋谷は形がない、概念としてのバーチャルでコンセプチュアルな都市であると。 #ニッポン戦後サブカルチャー史
1990年代に使切りカメラやプリクラが大ヒットして、現代のセルフィ―ブームやインスタと連続してる気もするなあ。 #ニッポン戦後サブカルチャー史
「仲間である」ことを確認する用途としての写真(特に集合写真)。あと、女子が、プリ帳にプリを貼ったら友達、みたいな意識もあったとか。 #ニッポン戦後サブカルチャー史
>>ICC | NTT インターコミュニケーション’91「電話網の中の見えないミュージアム」 http://www.ntticc.or.jp/ja/exhibitions/1991/intercommunication-91-the-museum-inside-the-telephone-network/
インターネットの一般化より前の1991年に、随分先進的な試みがあったらしい。 #ニッポン戦後サブカルチャー史
駅のゴミ箱が撤去されたり、監視カメラが設置される様になったのは、サリン事件がきっかけであるのか。 #ニッポン戦後サブカルチャー史