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Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
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いちいち教えてくれる人がいるんですよ。その結果、めちゃでかい争いが起きたりするわけ。それでいいのかよと。
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圧倒的な武力で、それが取り柄の人間を完膚なきまでに叩き潰すその様を見るのが快感なんだよね。今まで他人を驚かせてた人間が、絶対敗北悟って動きが止まる瞬間。あの感動と笑いが同時に襲ってくる感覚ってなかなかない。菅原はそれでも文字通り「喰らいつく」姿が震えるほどかっこよかった。
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その人知らないからなんともいえないけど、自分が会った人を想像して、その人のケースで考えると、一問一答式で質問する人は、それ、質問が「できない」人なんですよね。タテに掘れないし、横に広げられない。でも会話はしなくちゃいけない。まがもたない。でも、人からは「なんでそんな質問するの」と言われるわけだ。仕方ないから「質問すると答えが帰ってくる。それが面白いから」と言ってるのかもしれない。
人は相手に興味がないけど、質問しなければならない時には一問一答式になったりする。自分も営業やってたときそうだった。営業だからヒアリング、すなわち質問しなくちゃいけないんだけど、ぶっちゃけ相手のビジネスにも仕事にも興味が持てない。でも聞かなくちゃいけないので、順番に思いついた質問をバラバラに聞くし、ただ聞くだけ。答えるほうはまるで鍵盤楽器にでもなったような気持ちになるっていう。
ただ、ある人がその行動の動機について、Pだと説明したからと言って、実際にPが動機とは限らないですよね。これもこの「限らない」の可能性を想像できない人が特に最近増えてる気がして世の中嫌になってる。方便でPと説明する時もあるし、自分でもよくわかってなくて無理やりそう説明するときもある。
物知らない芸人がお笑いだからと偉そうにするのはうんざりだが、お笑いまったくわかってない、人を笑わせる能力ゼロ、笑えることもものも貧弱な人間が単にポリコレ批判からだけで「あんなのおもしろくもなんともない」とか偉そうに言ってるのも自分は大変不愉快。
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本って読んで賢くなるっていうけど、ぶっちゃけ読んでるって人、ここにいる人でもたくさんいるけれど、じゃあ、かしこいかって言ったら、そうじゃないって言う人も多いってじっちゃんが言ってた。
世の中に読むべき本なんてそんなないと思ってるし、それは多くが古典だろうなって思ってるし、仮に優れた古典であってもこちらに準備がないと読めない、読んでも得るところが少ないだろうし。本っておいしい料理とかスポーツ、素晴らしい映画、気持ちいいセックスとかと同じくらいには素晴らしいと思うけど、それってその価値がわかんない人だっているし、相対化されるものだと思ってる。
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ぼくはレコードを本と同じくらい好きだと思うけど、「街のレコード屋さんを救え!」とかならないわけでしょ。みんな平気でサブスクで聴いてる。映画館救え!もそう。ネトフリかアマプラじゃん。それでいて「本屋はいいぞお」とか言われても、本屋はいいぞ!はいいけれど、言外に「本屋が一番」「本屋だけがいいぞ」だと「なぜ???」となってしまう。
自分は本屋に限らず、街でできること、することをもっと増やしてほしいなとは思ってるんだけど。
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自分にもお気に入りの書店はいくつかあるし、応援で買うこともあるけれど、正直もう紙の本で読むことってほとんどないし、徳島なんて地方だと「街の本屋さん」自体がマジでないから。神学大全が岩波から出てもアマゾンで買うしかないのよ。
結局可処分所得をあげれば、余計なもの、つまり本をみんな買うようになるんだから、可処分所得さえあげてくれればいいんだよね。変に政治家入ってきたほうがおかしなるで。利権とかもあるからおいしい汁吸いにきてるだけだろうしさ。政治家も。
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成田悠輔、ちなみに自分の著書の中で「「老害は切腹せよ! 打倒シルバー民主主義! もっと若者の声を聴こう」と叫ぶとき、その人は遠くの未来は見ておらず、すぐそこの近くの未来ばかり見ていることになる」(22世紀の民主主義p.95)って言ってて集団自決否定してんだよね。
ちょっと長いけど、以下同ページから引用。
「ちょっと立ち止まって考えれば、すぐにある疑いが湧く。光陰矢のごとしで明日はわが身、今日の若者は明日の老人である。はるか彼方の未来、たとえば数百年後から見れば、せいぜい数十年しか違いのない今日の若者と老人の差など取るに足らないだろう。とすれば、誰かが「老害は切腹せよ! 打倒シルバー民主主義! もっと若者の声を聴こう」と叫ぶとき、その人は遠くの未来は見ておらず、すぐそこの近くの未来ばかり見ていることになる。「(遠くの)未来を考えていないからこそ、(近くの)未来の声に耳を傾けるべきだと感じる」という逆説に至るのだ。 今の日本ではさらなる皮肉が折り重なる。「高齢者はダメ、老害は引退すべき」というのは確かにそうかもしれない。だが、じゃあ若者の意見を汲み取ればそれで良くなるのかというとおそらくそうではない。」