23:25:10 @mitimasu@mstdn.maud.io
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薩摩は始祖・島津忠久が頼朝の隠し子だという説を信じていたので、水戸の『大日本史』にその説をねじこもうとず~っと運動してたから。
「両論併記でいいから!ね?ね?ね?ね?」
と。
最後に水戸藩が折れたのは根負けであって、重豪と斉昭の人間関係によるものじゃないと思う。

22:59:53 23:00:18 @mitimasu@mstdn.maud.io
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> 「実現すればパーフェクト婚以上」佳子さまのお相手候補、島津一門のスゴすぎる系譜…たった1つの「懸念材料」とは? | News&Analysis | ダイヤモンド・オンライン — https://diamond.jp/articles/-/344592
> 江戸後期の名君・島津重豪が、鎌倉に墓を建て、友人の水戸斉昭に頼んで『大日本史』にも書いてもらった。

島津重豪と水戸斉昭の年齢差、55歳くらいあるんだけど、友人……かな……

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「実現すればパーフェクト婚以上」佳子さまのお相手候補、島津一門のスゴすぎる系譜…たった1つの「懸念材料」とは?