これが真だとして、実際のところ多くの人がfediには来ておらず、つまりたいていの人は別にプラットフォーマーの横暴に辟易はしてないということになる。
まあ、投票率の低さとか考えても、たいていの人は施政者に抵抗を覚えないし、独裁国家がまあまあちゃんとなんとかなってるのって、国民もそれで満足してるか、多少不満足でも別に抵抗を覚えるほどではないってことなんじゃないかなと。
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麻生の炎上ってどこか憎めないというか、「いやまあそうなんだけどさあ……」みたいなのが多くて、致命的にこいつなんてこと言うんだ、みたいなのはあんまない印象。定期的に炎上するけど、炎上しても麻生節の範疇に収まってしまう。
@life 分からん。全く見れないのが見れるようになるとかなら、分かるんだけど。
経路上になんか激重ポイントがあるとかなのかなー。
輪廻転生のサイクルがどれくらいの期間か直感的に分からないのと、人間が一番えらいってのがまあまあエゴだろってのと、候補になりうる生物の対象が自明じゃない(来世が犬ってのはギリ分かるけど、来世が微生物だったら全然ピンとこない)のとで。
まああの世にいるのは、せいぜい長くて、その人のことを覚えている人が、現世にいる間じゃないかなあ。
そういや、自分は生まれ変わり(輪廻転生)はあんまり信じないかも。
「あの世で元気にしている」って考え方は、分からなくもないし、自分もまあそうかなって思うけど、流石にあの世で何年もいるわけじゃない気がする。そんなこと言ってたら、天国がパンクしてしまうし、極論天国にまだウホウホ言ってる原始人がいるのかって話になってしまう。
まあこの詩に基づいたら、虹の橋を渡ってしまったら駄目でしょ、飼い主を待つんじゃないのってツッコミが入りそうだが。
あと、死んだら死んだで、飼い主なんか待たずにさっさとあっちの世界に行ってほしい、なんか死んでからもペットを束縛しているみたいで嫌だ、あるいは飼い主にさっさと死んでほしいのかって意見もあった。こっちはまあ分からなくもないかなあとは思う。僕は、虹の橋の袂も十分あの世だろうと思うけど……。
ペットが亡くなることを「虹の橋をわたる」という表現をすることがあるらしい。
ペットが亡くなって虹の橋の袂に行き、そこで飼い主も亡くなるのを待って、一緒に虹の橋をわたるという詩・伝説があって、それが由来らしい。
ただ、この表現を歯が浮く表現だとか、虹の橋ってなんだよお台場にあるのか、とか一定数嫌いって人がいるらしい。
「天国に旅立つ」とか「お星さまになる」とか「鬼籍に入(い)る」とか、死ぬことの表現には枚挙にいとまがないし、その表現の仲間だって認識だけど、その表現を気に食わないってのは、「天国」とかそんなものはねーよ、人も動物も死んだらそれでおしまいだ、直截「死んだ」って言え、って思ってる無宗教過激派みたいな感じなのだろうか。。。