快便
スポーツというものへの、なんか神聖視する大衆がずっと嫌いなんだよな トップアスリートはすごい、とても頑張っているので偉い、それを微塵にも馬鹿にすることは許されない、みたいな 知らないよそんなの
トップアスリートだって別にぼくらのために頑張ってるとかじゃないじゃん 勝手にやってるだけでしょ
っていうのを、シス女性至上主義者の皆さんが無茶苦茶ないちゃもんつけてるのを見ながら思った きめ~
質問の体をしながら、ある特定の答え以外認めない問いかけ嫌いなんだよな 「私がなんで怒ってるかわかる?」と同じ 想定外の答えに対応できないなら最初から質問なんてしなきゃいいのに
あの手の人たちが求める答えって「出生時に女性と割り当てられた人は出生時に男性と割り当てられた人にどうあってもかないませ~んトホホ~」であって他の答え方を一切受け付けないのに、わざわざ質問の体にして別解が来ると怒る 意味わかんな
「ちゃんとこちらの言いたいことを言外から汲み取って額面通りに解答しないで」って、他人にやらせることじゃないでしょ もっと甘やかしてくれる人にやりなよ
スポーツを巡る社会の陶酔嫌いなんだよな スポーツ選手は頑張っているので有名になったり記録を残してえらいみたいな理屈あるけど、スポーツ選手が目立つのは競技シーンとテレビ等広報とフィクションと資本がそれをバックアップしてるからであって、何か他の分野に比べて圧倒的に特別で素晴らしいってわけじゃないのに、うっとり見入ってて嫌ッ
スポーツって大衆の心をいっぱい動かすものっていう認識が作られてそれが扇動や目眩ましに使われたりしてて、それだけでなんか距離置きたくなる それはフィクション作品もまあ同じなんだけど
男と女で分かれていればとりあえず土台は平等ですよね、みたいなのばっかりなのも嫌 そんなわけないじゃん
酸素と長谷部が木を伐採する業者的なのに扮装しながらなんかやってる場所に俺が普通に存在していて、酸素が別の業者か依頼人かに事務対応してるときちょっと敬語使ってるのを見て俺が「ありがてえ!ありがてえ!」と騒ぎ、長谷部に宥められていた 変な夢願望の夢
俺の絵ってめちゃくちゃ最高だし普通にみんなが見たいだろうと思ってるから、俺を絵目当てでウォチらない人のことを結構信じられないという目で見ている すごい怠惰なのかもな、という納得をしているが
俺の絵を見逃すのって、損失だと思いますが…!?みんなに損失を味わわせたくないのでインターネット上で追えるようにしてるけど…よかったね……
冥ちゃんがボロボロになってでも犯人を追い詰めるスピンオフとか見たい 冥ちゃんにはそのポテンシャルがある
冥ちゃんさあ 盲信してた父親が捏造冤罪しまくりの殺人犯だったし復讐したいと思った弁護士とかきょうだい的な存在の検事にも置いていかれたと劣等感を感じてしまっていたのに、それでもカンペキの矜持を掲げて誇りを持ちながら国際検事やってるの、かっけえよな
馴れ合いなどしない!という気丈さはずっと持ち続けてるけど、同時に同じく誇りを持つ者への敬意は表すようになってて、それもなんか……良いですよね……
タクシューテキストと明確に違うよなあと感じるところでもある 女性キャラが自身の在り方に矜持を持っているという描き方を結構するんだよな
女性キャラに限らずではあるかも 自分の使命への矜持の持ち方というのが、タクシュー的なキャラ描写より外側にある感じがする
タクシューのすごく個人それぞれにフォーカスした精神性というか、本人でなければわからないような執着みたいな感情の描き方も好きなんだけど、使命に準じるキャラを好きになってしまうオタクとしてはやはり…刺さるところかなりあり……
男女の身体性の違いに酷くショックを受け一生理解できないと思った、みたいな感受性の豊かさを示すツイとそこに集まる称賛を見ながら、ある程度身体性に共通項があれば理解できると思うそれがわからんなあ、と思うなどした
たとえば白人と日本人では腸の形が違いがちでうんこに適した体勢が違うみたいな話あるけど、そういったことには「作りが違うから一生理解できない!」とはならないのに、男と女の身体性のみ理解できないという強いショックを受けるのがわからない 男と女以外にもいろんな身体性の違いがあるのに
それともそういう違いにも普通にうわー!ってなってるのかな そしたらまあわかるか 他人って違うもんね
消化酵素とか肝機能とか代謝とか目の色とか皮膚の厚さとか髪の質とか腕の長さとか人種民族出生地等々で全然変わってくるのに、生殖機能とそれに付随する差異だけが特別に違ってて特別に理解できないものであるとするのってなんで?
逆に言えば、日本人に多く見られる特徴を有しているから白人の同性より理解できるかもしれないのに、その可能性は考えないんだろうか
違いを知ってとても驚いた、まではそういうことはあろうなと思うのだが、身体性の違いというものをある2属性に括って分けて「まったく別の異なるものであり、理解の及ばないもの」としたのがわからないし、同じ属性であれば理解可能とするのかもわからない
要するに俺が「理解が及んでない」のだけど、「理解をしようとする対象」は身体性のみでいいのか、というのを考えてしまうよ
簡単に一生理解できないと断じたり、その言外に理解ができると言い放ったり、そういうのがなんか俺は嫌なんだと思う 多分
個人的に強い印象を受けた出来事、動いた精神が、大衆に晒され無軌道な賛同や称賛で”偉いもの”みたいになっていくのも嫌だ 体験ってそういうのじゃない
他者を理解するというの、すべてを理解することはできないがまったく理解できないこともないっていう大体もや〜っとした行いであるのに、他人は理解できる、いや理解なんて不可能、みたいになってて、二元的言い方をやめたほうがいい
連続殺人鬼だって「目が渇いたらギューって目閉じて潤したくなりますよね〜」って言ったら「わかる〜」って言うよ
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