「相手のために料理をする」という行いと愛情描写であるということの接続があまりできなくなってきた 母親的な行為と愛情表現を過度に結びつけるのを嫌っているというのもあるし、自分が料理を提供する側になっている上で別に愛情とかいう話ではないなという実感があるのもある
「相手のために料理をする」という行いと愛情描写であるということの接続があまりできなくなってきた 母親的な行為と愛情表現を過度に結びつけるのを嫌っているというのもあるし、自分が料理を提供する側になっている上で別に愛情とかいう話ではないなという実感があるのもある
料理ってまあ好きでやってて、食べてもらって感想が返ってくるのは副次的なもので言ってしまえばアマチュア創作活動と同じもんで、アマチュア創作活動が他者への愛情って言うかといえば別にそうでもないしな……みたいな……
料理が別に好きじゃないけど相手のためにやってるって人もいるとは思うけど、そうなると(フィクション描写の上では)若干独りよがりの部分も出てきてしまう面は否めず 俺ってあんまりフィクションのご飯のこと好きじゃないのかも
私が考える愛情というもの、「見ること」に集約されるかもしれない 見守ること、見ようとすること、見せること、のような……
だから酸素のこと愛情深いよなあ〜とか思ってるのかもね 酸素ってぼくらのこと見てくれるから
ギノルタ・エージはその点なんも見ようとしないので愛情という回路がないものと思っているのかな 愛情という回路なくあってくれ
ご飯っていうものは温かな気持ちになる愛情の描写です、が自分の中で内面化した規範であるということが段々わかってきた 前々からなんか、規範で以て描こうとしても興味がないからおざなりなんだよな……
食事の場におけるなんらかのエピソードはものによって好きだと思う 食事の描写そのものに興味がない
でもあれかも 現実の食事も味とか食感とかそういうのより情報を食ってる割合の方が高い気がするから、食事という行為に含まれる情報の処理を楽しんでるだけかも それは食事を楽しんでいると言うのでは?お?なんだ?やるか?
食事の情報が好きだから味っていっぱいあった方がいいね〜と思ってる たくさん味がしたほうがお得
トリックの種明かしとかも好きだから、鉄鍋のジャンとかは楽しく読む あれはミステリとか知恵で乗り切る異能力バトルとかと同じ文脈だから
こういう感じで一人で考えてるようなことを初対面の人につらつら喋る機会があったとしたらやっぱキショって思われるんだろうか 意味わかんないキショキショ人間なのかな
でも人間って大抵一皮剥けば非規範的なことばかり考えてる意味わかんないキショキショ生物だと思っとるんですが、そんなことはないんですかね
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寄付もボイコットも世界が不義を犯す故に不便を被ってるわけで、世界は不義を犯すなといつも思う 不義って最悪
モニタリングを、描いていました
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小腹が空いた時に甘いものがつまみたくなることがほぼないんだけど、そういうときって何をつまむのが正解なのかまだわかっていない 塩気のあるものが好きで…
最近はちょくちょく板わさ食べてるんだけど、わりと高いし常温保存できないし切らなきゃでめんどいからいい感じにローカロリーでつまみやすくて塩気のあるものないかな 酸味でも良い気はするが
世の間食向き製品ってなんで甘いものだらけなんだ プロテインバーもむやみに甘いし うまいけども
ポテチとかは別に食べたいなって気持ちにならないんだよなあ できるだけ食事に近い方が嬉しい
これあれだな、地味に水分が含まれていることも条件に入ってる気がする そして水分が含まれているものは大抵常温保存に向いていない 死~ん
唾液の分泌量が少ないのか知らないけど水分の少ない食べ物と相性悪いんだよな そのせいかな