アクスタのやーつ
#碧折絵
ぼんやり昔を思い出しながら、善性の強い主人公に憧れていたのと共感性の高さでたびたび善き様に振る舞いたいという欲求がまろび出ていたけど、周囲がそんな風なことをあまり有難がる環境じゃなかったから(周りから浮くし、冷笑的な部分もあった)、度々まろび出る程度で済んでいて、今誰も俺を止めないからこうやって社会活動をしようしようという欲求が噴出してるのかな、と思った
俺って昔は冷笑的だったな~とか思っちゃうんだけど、何か人に決定的な困難が起きているときどうしても善行チャンスと思って衝動的に行動しては、余計なことすんなとかそんなことやっても意味ないでしょとかほんとはそんな行動迷惑らしいよとか、そういうことを言われたり見たりして、恥ずかしくなっていたなというのも思い出す 何かをしたいという気持ちだけはあったが、環境がそれを抑えていた面が強いんだろーな 冷静に考えるとそうなる
まあ小さい頃の行動だから、たしかに考えなしで浅はかな面も大きかったんだろうけどね
でもやっぱりそういう行動をあんまり肯定されてこなかったから、今の俺が肯定しとこうかな やるじゃん
末っ子で家族の一番下だから、「お前が間違ってる」って言われると年上が言うんだからそうなのかなあ、と思うんだよね
今考えると子どもの内の知識量なんて大して変わるもんでもないんだけどね
クラスで遠巻きにされてたりいじめられていた人と話していた俺はもしかしたら施しや情けのつもりでそういうことをやってたかもしれないけど、俺も普通に遠巻きにされるような部類ではあったから、施しのつもりで付き合ってもらってたところもあるのかな 人の付き合いってそういう感じかも
どんな付き合いも概ねそうだけど、100%ひとつの感情ってわけにもいかないんだよな 後ろめたいところがあったり、逆に宝石のような時間もあり、一方的に施すということもそんなにない 必ずなんらかの相互作用が生まれてしまう
当時にもっと知識があったなら違ったことができただろうか でも変に知識があったらそれはそれでいらんことしてそうな気もするんだよなあ
今のこの状態が良いのか悪いのか主観ではなんともだけど、少なくとも「そんなんしてるの恥ずかし笑」の声に惑わされず自分が良いと思ったことをするというのは、なんというか魂に良い
自分の気持ちに従って思い切ったことをやってみようという行動は過去に食らった呪いを解いてる作業なのかしら そんな大げさなもんでもないか?いやでもなあ…
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