読書タグで見ておもしろそうだったので読んだ。アヘン・カフェイン・メスカリンの体験記みたいな感じだった。
なんでも毒にも薬にもなることから、精神に作用する植物を一律規制するのはどうなんだろうか?という辺りから、身をもって試したらしい。
薬を意味する古代ギリシア語「ファルマコン」は、薬とともに毒という意味でもあり、3つ目の意味としてスケープゴート(問題を押しつける相手)も指すというのがおもしろいと思った。
アヘンについては、アメリカでは芥子は種を売るのも育てるのも合法(らしい?)がアヘンを作ると違法で、その線引きどこだよ!みたいな話が多かった。
あとオピオイド危機ってくわしく知らなかったのだが、アメリカでは中毒死者が大量に出て大変だったのね。
カフェインは逆に3ヶ月断った体験記だったが、そんなになるか?って感じだった。普段からコーヒーたくさん飲む人ならなるのかな。
オノレ・ド・バルザックはコーヒー狂でカフェイン耐性がついてしまい、挽いたコーヒーの粉を水で空きっ腹に流しこんでいたという話がヒィーとなった。読むだけで胃が痛い。
私自身はコーヒーが飲めず(匂いの時点で気持ち悪くなる)、緑茶は胃が痛くなるから飲めず、チョコレートは1片より多く食べると鼻血が出るので、ある意味カフェインの強さを体感せず体感しているのかもしれない。
メスカリンは、あらゆる情報が入りまくる感覚になるらしい。通常は生きるのに必要な情報だけを取り込むよう脳がバルブを閉めているが、そのバルブを開けてしまった風になるらしい。「脳への作用」という感じでおもしろい。
北南米の先住民はペヨーテというメスカリンを含むサボテンを使った儀式を行っているが、先住民以外による盗採など問題が多いそう。
最後、著者と妻と数人で似た感じの儀式っぽいことをした結果、心にわだかまっていることが告白できて云々みたいになっていたが、正直それくらいなら物質にたよらずとも内省なりでたどりつけるのでは?という感想ではあった。
バロウズとド・クインシー読んだときと同様、気を晴らしたい覚醒したいという気持ちはやっぱりまったくわからない部分ではある。オタクはシラフでなんぼでも幻覚見れるし、それで脳稼働しすぎて自家中毒で気持ち悪くなるところまで行くし必要性がないのだろう…。
オルダス・ハクスリーがメスカリンを試したときの作品『知覚の扉』は読んでみたい。