これもすごい面白かったので書いておく。
まったく専門外なのでこの本で初めて知ったのだけど、精神分析って別に患者の過去とかを掘り起こすことが目的じゃないのね。
過程で出てくることはあるかもしれないけれど、出した所で真実かわからないし、現在の症候の改善に繋がるとは限らないし、という。
それより自分の言葉で語らせる→無意識のものを意識に移して抑圧を解除→正常な葛藤に変える、のが重要で、それが仕事らしい。全然知らなかった。
精神的な症状である「つくりもの」を、対話しながら一緒に「別のつくりもの」へ移して、その結果症状が軽微なものにすり変わるならばそれで良い、というようなことも書いてあった。面白い。
しかしこれ必要なの優しさとかでは無くて、とにかく技術だよな。めちゃくちゃ高度な技術。
"先生の仕事(=精神分析家)は娼婦と似ていますね、と言われた事がある"という下りがあり、割と当たっているらしいが、なんとなくわかる気もする。医師側も自分の精神をさらけて対応するわけだもんな。
そんなことをやっていると患者に恋愛感情を持たれてしまうことも少なくないと思うんだけど、それを転移性恋愛というらしい。
フロイトの『転移性恋愛についての観察』(1915)
https://s-office-k.com/professional/column/book/transferencelove
ぐぐって読んでみたこれがまためちゃくちゃ面白い。
転移性恋愛を受け入れてしまうと患者の欲求が満たされ本来の探索が阻害されてしまうからNG、かと言って中止するのも快復に向かわない(他の精神分析医とも同じ事を起こす)からNG。完全に詰んでる。
その状態からどうしろというのかというと、せっかく表出した転移性恋愛感情なのだからそれを糸口にもっと分析を進めるべしって方針が正しいらしい。崖っぷちでしか出せない大逆転技すぎる。
精神分析、工程エグくて手順間違えると医師側が壊れると思うので、技術というかもはや魔術感ある…。
フロイトは「悩める人を助けたいという欲求は、サディスティックな素質の派生物」とか言っているらしい。そうでもない限りなかなか出来ん技だわね。
ここからはネタバレ(?)なんですけど、巻末の立川談春とのインタビューで、
>立川談春 ─ 師匠が亡くなってからね、どうも僕は躁になったらしい。電話でしゃべってる時に、あれ、どうも会話のテンポが制御できないぞって気づいたんですよ。おい、これはおかしくねえかと。で、すごく信頼している整体師に「俺、これ躁かな?」って言ったら、「そうだよ」って。
という下りがあって、200p余りの分析が「躁かな?」「そうだよ」に負けちゃうの好き。
#読書