@tundratiger そうですか。ところで僕の場合は、のちに就寝制限が9時に緩和されたので、「オレたちひょうきん族」の記憶ならあります。
@tundratiger そうですか。ところで僕の場合は、のちに就寝制限が9時に緩和されたので、「オレたちひょうきん族」の記憶ならあります。
1975年生まれなのにドリフの全員集合をまったく見ずに育ってしまったので、悲惨な映像のバックに「盆回り」( youtube.com/watch?v=ITfTTV… )をかけて滑稽化する効果を狙う動画は、残念ながら僕には何の意味もなさない。
おしゃれな楽曲とされているものは1980年頃までに全て出尽くしているようなので、おしゃれをしたい店は、抜本的なパラダイムシフトが起こらない限り、大昔の楽曲を将来もずっとかけ続けなければならない。
たとえば「ちなみにカルタゴは滅ぼされなければならない」みたいな「ちなみに」の使い方をするので、いちいち「それちなんでないじゃん」と内心ツッコんでいるわけだ。でもどうなんだろ、前の部署にもこういう人は何人かいたし、新しい用法として実は拡大中だったりするんだろうか?
自分の部署の過半数の人が、特に何にもちなんでおらず、自分なら「あと」「ところで」と言うところで「ちなみに」と言うことに最近気づき、伝染の結果なんだろうか、などと気になっている。
en.wikipedia.org/wiki/Metasynta… によると、hogeraのraは複数を表す接尾辞で、ゆえにhogehogeと言っているのに等しくなるのだという。でも、そんな解釈をしている日本語ネイティヴの方はおられませんよね? (あとで直すかもしれないので一応確認)
ジャンプの漫画やドラゴンクエストは、きちんと過去に置き去りにして前に進みたい。いやな思い出があるとか、そういうネガティヴな理由では全然なく。
「ニンジャヘッズ」の単数形であるはずの「ニンジャヘッド」は全然用例を見ない。たとえがやや古いが「アダルトチルドレン」みたいなものか。
例えば「Muzzulini」という文字列を検索して「お、イタリアにはムッツリーニさんが実在する!」みたいなことを日常的にやって喜んでるおめでたい人、自分以外にはまるで会ったことがない。
教育のための方便(つまり嘘)は、「閻魔さまに舌を抜かれる」くらいに、大人ならばすぐ方便だと分かる他愛のないものであるべきなのだろう。そこで科学的体裁を整えようとすると、言う方の大人さえそれが方便であることを忘れ弊害が大きくなる。Game脳も江戸仕草も水伝もその轍を踏んでしまった。
「ああ、自分はこれほど醜くない」と安堵するために、わざわざ自分から醜いものを見に行っちゃうんだ。得られる安堵 > 醜いものを見る苦痛、なんだ。ふうん。
ラーメン屋の「一蘭」は、これまで何となく中国風に「いーらん」と読んでいたが、普通に日本音で「いちらん」と読むのが正解だった。