最近あんまし文化を消費していないなあ。よくないなあ。

「"脳内蓮舫" 約 1,600 件」何か無駄遣いをしていると感じたときに「それは本当に必要なものですか? ○○で十分なのではないですか?」などとささやいてくる存在。

「王立カナダ騎馬警察」。この名前で儀杖用とかではなく、普通の、正規の警察なんだそうだ。カナダは隠れた中二病国家だと思った。

「あのときヒトラーさんが皆殺しにしてくれなかったから」というのが、パレスチナでは決まり文句になってそうだ。しかも、ジョークとしてではなく、真顔で。

表向きは普通に信徒の幸せを祈っていると見せかけて、実際には礼拝のたびに後ろにいる信徒どもを全力で呪っているデスメタルな僧侶とか神父とかがいるのかもしれない。

「形式的には和気あいあいなんだけど、傍から見てヒエラルキーの存在が明らかな女子高生どうしの会話」って、和気あいあいに失敗しているよね。

マルクス主義者がオーウェルを援用して現在のアメリカを批判するブログ記事があって、とても21世紀っぽいと思った。少なくとも冷戦時代にはありえなかった。

昼休み、食堂で業務上の通話をしている人がいて不快感を覚えた。自分はそういうことを不快に思うんだなと分かった。

半径1クリックどころか3クリックくらいまで、オンラインで自分の周りにいる人々が、あまりに均質的すぎる気がしてきた。

でもこの「古き悪しきもの」を排除するプロセスは、おそらく残念ながら「社会の過保護化」とも表裏一体で、社会を浄化しているのと同種のエネルギーがつまらないことに向かうと過保護化になってしまうのだと睨んでいる。

「古き悪しきもの」の社会からの排除は数十年前から進行中の事象であって、社会の表面はそこそこきれいになったし、「きれい」を内面化した人もそれなりに増えてて良い傾向なんだけど、そうでない人・組織・業界もまだまだ多く、それらが毎日のように槍玉に上げられてるのが現在なんだろうな。