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体罰の話題ですが、タイムリーなことに今日読んだ『教育虐待』という本で体罰について触れられていて、「身体的苦痛より精神的苦痛の方が問題」だとされていました。
(あとで書評書きます)
ソニー株式会社を退職しました
https://anond.hatelabo.jp/20170403094257
>ものつくりの現場で、エンジニアリングをバカにされたのは悲しかったなぁ。私がいる間だけでも、ものが作れなくなっていってるのが感じられたのも悲しかった。
本田技研の似たような話を少し前に読んだけど、ソニーもホンダ化してるんですね……
https://twitter.com/misiru_/status/1485940685652238338
>「私を好きにならない人に私は興味がない」というマインドを持てたら恋愛は優勝です。
よし、優勝した(震え声)。
(ツイッター鍵垢より)
>teslaの脆弱性見つけたレポート、やたら英文が回りくどいしなんだコレって思ったら突然「俺は15で高校を中退してハッカーになった19歳だ」とかレポートの真ん中で自分語り始まり、お前の話はいまええねんとなってウケた
『教育虐待』(おおたとしまさ著)をほぼ読み終えました。
以前ざっと読みましたが今回は改めてじっくり読みました。
色々感想や内容の紹介をしていきます。
・「教育」と「人材育成」の違い
教育と人材育成は混同されることがありますが、出発点や目的が大きく異なります。「教育」は本人のためのもので、「人材育成」は社会に役立つ人を作るためのものです。
現在の学歴社会では教育がすなわち人材育成になってしまっていることが多いです。そして、高学歴を子供に得させるために子どもに無理強いをする行為は、「教育虐待」というよりもむしろ「人材育成虐待」という方が合っています。
「食材」も「木材」も材になった時はすでに死んでいます。同様に「人材」も材になった時点ですでに「生きる力」は消えています。
↑とまあこんな感じの内容です。
・一世代のみの歪みか、数世代にわたる歪みかによる違い
その家庭(や親族)で一世代のみたまたま教育熱心な親が出現した場合、一時的に受験熱で前のめりになりすぎて教育虐待をしてしまっても、親本人が早めに気付いて反省すれば、親子関係も子供の傷も早めに癒えることが多いです。
しかし、数世代にわたって家族システムの機能不全がある状況で教育虐待が起きた場合、当事者が自力でそれを克服することは極めて難しいです。克服するには精神科医や心理カウンセラーの助けを必要とします。
↑という感じです。多分うかごさんは下の方のパターンだと思います。
・体罰について
体罰が悪いのは身体的苦痛を伴うからではなく、精神的苦痛を伴うからです。体罰を受けて自殺した生徒は身体的にいたかったから命を絶ったのではなく、精神的に追い詰められて命を絶ったのです。
体罰のような外的動機付けで成長した人間は、そういった「鞭(外的動機)」が無くなると前に進めなくなります。一方、自ら望んで試行錯誤をして育った経験の豊かな人間は、どんな困難にぶつかっても自分の力でそれを乗り越えようとします。後者の方が時間はかかります。しかし教育効果は大きく、半永久的です。
↑こういう感じです。ただここで言ってる体罰は成績が低いと体罰を与えたり、部活で体罰を与えたりするという意味の体罰だと思われ、さっきブーストしたような校内暴力に対する体罰を含まない可能性もあります。
・「自信」と「自己肯定感」の違い
自己肯定感と自信は似た言葉ですが、自己肯定感は成功の有無に関わらず持てるのに対し、自信は成功が基盤となっています。仕事や学業などで努力して成功をつかんだ人は「自信」を手にします。しかし、逆に言えばそういった根拠がなければ自信が崩れてしまうので、自己肯定感を持っていないが過去の成功体験で自信を持っている人は、いざ挫折した時に折れてしまいます。
一方、自己肯定感がある人は、失敗を重ねて落ちぶれてもあまり大きな挫折感は持ちません。そして出身大学や勤務先や年収で自他を比べたり見下したりはしません。
自己肯定感を身につけるには、「生まれてきてよかったね」「独りぼっちじゃないからね」「あなたの人生はあなたしか歩めない」と、親や周囲から言われることが大事です。
↑とまあこんな感じです。毒親持ちの人にとってはちょっと辛いかも……
https://fedibird.com/@Methylenedi_oxy/107620318306784875
↑この話、本書のこの記述を読んでやっと深く理解できました。多分新井議員や松岡議員や理研の笹井さんは自信はあったが自己肯定感が低かったのかな、と思いました。
・死ぬ勇気と生きる勇気について
ある少年が80錠飲むと致死量の薬を50錠飲みました。いじめを苦にした自殺企図です。その後命は助かり、「生きるか死ぬか五分五分に賭けた。死ぬのは怖くなかった」と言いました。
そして「教育委員会から『死ぬ勇気があるのなら、いじめに立ち向かえ』と書いたカードが配られて腹が立った。死ぬのに勇気は要らない。立ち向かえないから死を選ぶしかないんじゃないか」と言ったそうです。
↑かなり考えさせられる内容です。多くの人にとっては死ぬことは勇気がいります。しかし、世の中には「生きることに勇気がいる人」もいるのです。例えば、いじめや虐待、持病や借金苦などで、これ以上生きることが苦痛に感じている人にとっては、死ぬことに勇気がいるのではなく、生きることに勇気がいるのです。
神風特攻隊とかだと「死ぬ勇気」が必要だったでしょうが、現代の自殺の大半は、「生きる勇気が必要だったが頑張れなかった」という例が多いと思います。
この本で「カリヨン子どもセンター」というのが紹介されていて、うかごさんは検討する価値ありでは?と思ったんですが、「10代後半」専用みたいなので無理みたいですね……
https://carillon-cc.or.jp/