ねむい
もうちょっと長く寝たほうがいいんだろうな〜
最近ちょっと落ち着いてたからTLもいつも通りに楽しくしてる人が多そうだったけど 私もずっと楽しく使ってたかったな もうむりなんだけども……
最低限のすぐに消えても大丈夫なことだけしか書かない癖がついたな たぶん投稿優先度低いから見えないだろうなとか、うっかり凍結とかされるかもなとか思ったら、もう大事なこと書くのやめるか〜って気持ちになってしまったよね
私は今はもうTwitterにしかいない人を観測する&その人に何か伝えるためだけにTwitterをなんとか使い続けてるので、他の人からせめて自分がそう思われない(誰かの仕方なくTwitterに居続ける理由にならない)ようにできたらと勝手に意識してるところがある ただの自己満足なんだけども
もし私の投稿に関心を持ってくれてる人が存在したとして、その人がFediverseに観測拠点を持とうと思わなければ、私は立派に「Twitterでしか投稿を見られない人」の一人になるので、本当に完全に自己満足なのである
自己満足は重々承知のうえで、せめて自己満足なりに、Twitter以外のいろんな拠点を作っておこうとしてる。
そもそも以前から、Twitterは雑多アカウントでいろんな作品も雑談も全部ごちゃ混ぜにしてたので、自分と作品を切り離せる場所を作っておいてた。何かあったらそっちに全部あるんで、私の夜中の自己問答とかに特に関心なければそっちだけ見てもらえれば、って言えるための手段を用意してた。
(特に何か言われたことはないけれど、Twitterで反応なくても他投稿サイトでは反応あったり、同人誌の宣伝ツイートがほとんど見てもらえなくても少数ながら買ってくれる人がどこからか現れたので、観測手段を複数用意しておいたことに関係があるのではないかと自分では思っている)
最近はTwitterには本当に一言だけ書いて、残りの本当に言いたかったこととかいろいろ考えたこととか、自分のために書いてることとかはだいたいこのアカウントで書くようにしている。
気分で、時々他のFediverseアカウントにもなんか書いてる。
自分でやってて、「続きはこちら!」の誘導リンクがない記事紹介ツイートみたいだなと思う。私が発信したいもの、私の記録の端っこだけちぎってそっと置いていくみたいな。
「やっぱりTwitterから離れることはできないな」と日々をツイートし続ける私の好きな人を観測しながら、私はもう愛着のあったその場所に、自分の本当に端っこの紙吹雪みたいに小さい切れ端しか置いていけなくなっちゃったな、私も変わらずに愛し続けることができればどんなによかったか、と謎の感傷をおぼえてしまう。
13年も人生の記録を残してきたパートナー的存在でもあったので、この物悲しくて切ないような気持ちはなかなかいなくなってくれないんだろうな、と思う。“たかがいち企業のいちサービス”に長い年月をかけて思い入れてしまったばかりに。
マストドン、折りたたみ機能があるしある程度文字が書けるから、ちょっとまとまった文書きたいけどブログ書くのめんどくさいな〜みたいなときにもツルツル文を錬成できてしまう