今日はカトリック、プロテスタント、正教会などのキリスト教会の「受難日(聖大金曜日)」。
約2000年前にナザレ人のイエスが十字架につけられ、息絶えた日と教会暦で定められています。
考古学的に正確な日時は分かっていませんが、世界の多くのキリスト教徒が今日と、そして明後日のイースター(復活祭)を特別な日としています。
さすがの私も、今日はSNS等から離れて、静まりの中で内省を深めながら過ごすことにします。
そういった日も、あってもよいでしょう。
Fediverseでは私の宗教性を出すことをしていませんが、今日くらいは好きな聖句とともに、受難日の一日を始めることにしましょう。
「また着る物について、何故思い煩うのか。野の百合がいかにして育つかをよく学べ。労苦せず、紡ぐこともしない。汝らに言う、栄光を極めたソロモンでさえこの花の一つほどにも身を装うことをしなかった。あるいは、今日あって明日は竃に投げ入れられる野の草でさえも神がこのように着せ給うのであれば、ましてやはるかに汝らをば。信仰の小さい者よ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、思い煩うな。」
マタイ 6:28-31, 田川訳.