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ウィーナーがベルクソンを生気論とみなしてdisってるのとか、生物の隠れた内部としての生命力みたいなものものが、サイバネティクスには不要だから
形は、たぶん伝統的にアリストテレスの発想を引き継いで形相と質料のペアで考えられてきたと思う。質料に形を与えるとモノになる、みたいな。形式と内容みたいな組もこの発想を引き継いでいると思うけど、実際にはぜんぜんちがう気がする。
「形態は外観に属する」というと、その視覚性が強調されてしまうけど、形態ってどちらかというとコンパスとか定規で記述できて、閉じているものだとすると、視覚はどれだけ関係あるだろうか
オブジェクト指向がいいかどうかとかはどうでもいいけど、オブジェクト指向は確実にこの「内と外」の区分を持っている。メッセージ指向と呼んでもそう。というかメッセージ指向のほうが内外の区別がはっきりしている。メッセージ読むのはレシーバーの内部だし。