兵庫県のこのあたりでも、「しんどい」の意味で「えらい」を使いますね。
今日は田圃の隅かじきを手作業でやって、ほんまにえらかったわ
「非常な」の意味でも使う。その場合は「ど」を頭に付けることが多いかな。
あいつ、どえらいことするのぅ。田圃の隅かじきを全部手作業でやりよるで。
そういう訳なので、「偉い」という褒め言葉には「アホなことしてご苦労さん」という揶揄がほんの少し混じっているのが通例ですな。
兵庫県のこのあたりでも、「しんどい」の意味で「えらい」を使いますね。
今日は田圃の隅かじきを手作業でやって、ほんまにえらかったわ
「非常な」の意味でも使う。その場合は「ど」を頭に付けることが多いかな。
あいつ、どえらいことするのぅ。田圃の隅かじきを全部手作業でやりよるで。
そういう訳なので、「偉い」という褒め言葉には「アホなことしてご苦労さん」という揶揄がほんの少し混じっているのが通例ですな。
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昨日の日報です。
・3121(本日のプリンス)
・狂った文章ならAIだって書ける
・森さんとスプラウト工場
・いわしのすりみパスタがおいしすぎる
箇条書き。興味あるとこだけ読んで。
2025/4/17 https://scrapbox.io/eyehatesns/2025%2F4%2F17
日本人が異常に共産主義や社会主義を恐れるのもここにポイントがある気がする。
日本人は、「みんなのものはマジでみんなのもの」という状態を理解できないのではないか。
だから共産主義の「財産は社会全体のもの」というのを、「結局はすべて権力者に取られる」だとか「結局は一部のずるいやつに独占される」だとしか解釈できないのではないか?
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田舎のベーシックな共同体(つまり「村」ですが)では、今でも「みんなのものはみんなのもの」として意識されていると思う。「みんなのもの」というより、「村のもの」かな。
「村のもの」なので、「村外の者には使わせない」は、明らかに含意されている。「村内の者でも勝手に使ってはいけない」もある。
村までは理解できてる。そこから先の、さらに広い範囲での共同体となったときに、「みんなのもの」が理解できなくなっている感じかなあ。
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