分水界については、神奈川県の特定都市河川流域( https://www.pref.kanagawa.jp/docs/f4i/cnt/f530637/ )を参考にしました。Googleマイマップの分水界ライン、相模国国境ラインはかなり雑に引いていますのでご覧の際はご注意くださいね。
神奈川県、相模国範囲の神社を歩いて巡拝する「相模の社を巡る」のFediverseメインアカウントです。個人的な信仰、趣味で巡り歩いてWeblogに記録しております。
さがみどんでは #神社 #狛犬 #鳥居 他に #相模 地域のローカルな話もしたりします。
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分水界については、神奈川県の特定都市河川流域( https://www.pref.kanagawa.jp/docs/f4i/cnt/f530637/ )を参考にしました。Googleマイマップの分水界ライン、相模国国境ラインはかなり雑に引いていますのでご覧の際はご注意くださいね。
鶴間橋で境川を渡って今日の散策は終了。
境川はここから南へ鎌倉郡と高座郡の境となって相模湾へと流れてゆきます。
(写真の向きは逆ですが)
お疲れ様でした。
そんな町田市鶴間は離島を除けば東京最南端の町なのですが、その最南端の町の最南端にある神社が、第六天神社。道一本向こうは神奈川県。つまり相模国で武相国境。
南町田という住所名は新しく、かつての金森村+髙ケ坂村+鶴間村+成瀬村+小川村=南村→町田町と合併→鶴間と小川地番の一部が南町田となる。
いまや南町田グランベリーパークで大賑わい(グランベリーパークは鶴間表示だが)
南下すると八坂神社と熊野神社。この辺りは鶴間村の範囲で小名町屋に当たる。
熊野神社は村の鎮守、創建年代は不明。鶴間村は元々相模国側の上鶴間、下鶴間と一村で両国に跨っていたという。面白い。
同じ金森の西田地区にも杉山神社があり、前述の金森杉山神社と神体を隔年奉遷して祭を行うという。境外末社には金山社があり、境川対岸にも金山社があることから、何かしらの関係も考えられるだろうか。
その弁財天社を境外社とする金森の杉山神社。武蔵南部三郡を主に点在する杉山社ですが、天和3年(1683)に創建されています。時代としては完全に武蔵国ですね。
近くには町田天満宮。原町田村が本町田村から分村する際に天正年間に創建されたとされます。北条氏照が関わって分村というと座間宿と座間入谷が思い起こされるのは相模国民だからです。
最初は金森山宗保院。天文11年、相模日向村の石雲寺から大和尚を迎えての開山。明治期に祭祀された秋葉三尺坊大権現の秋葉堂があるので天狗さんもいる。
@kanageohis1964 なんかそういうトラブルの言い伝えとか調べたら残ってそうで面白そうですね〜
@kanageohis1964 なあなあになってて太閤検地でバレて…みたいなこともあったのかなぁ、などと妄想してしまいます。律令で国境が決まった時には大して開発されてなかったような気もしますし。
境川に水が流れ込む範囲、と考えると、なるほどそう感じる地形を歩いている感じがしました。しかしまあ、原町田あたりは分かりづらいですよね。
帰宅しています。
今日は主に町田市を歩いて神社を巡拝してきたのですが、一般的に武蔵国範囲なので私がこのアカウントで投稿するのは少し変だと思われるかもしれません。
「町田は神奈川だ」とかは言いません。今回は安土桃山時代、太閤検地によって定められた境川を武相国境とする以前、分水界による国境であった可能性を想像して巡って参りました。
#相模国