13:17:18
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結論から言うと、この小社が旧郷社、田居神社でした。
酒田村の神社を纏める際、まずは田居神社に周辺の神社を合祀する予定でしたが、宮台は酒田村の南側で北側の住民が納得せず、結果、中央位置辺りに酒田神社を創建となったのです。
酒田神社創建の時にこちらは廃されているはずなので、残ったというよりは再度作ったと考えられますが、当時の状況を知らずこの社殿の様子で郷社と言われると「何でこんな残念な」となることでしょう。せめて案内板くらいは欲しいものです。

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13:00:11
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観音堂の向いに、宮台老人憩の家という会館があるのですが、その敷地内にモルタル製に見える小さな社があります。これについても正体がわからなかったので、開成町民センターにある図書室で司書さんに何冊か資料を見つけてもらい、その中に情報を見つけました。

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11:42:41
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田居神社の御神体は八王子権現の頃から十一面観音像だったので、それを明治政府に見咎められ慌てて隣の浄蓮院に隠します。その後、ほとぼりが冷めて十一面観音像を納めるため建てられたのが現在の観音堂です。
扁額も無く、案内板も無く、近くの住人のおばあさまに聞いてもわからないので、私はてっきりこちらが郷社指定された元田居神社社殿なのかと思ってしまいました。

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11:25:16
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酒田神社創建以前。
明治6年の一村一社政策ですでに各村のには社格指定された鎮守社があり、その中で宮台村の田居神社は郷社に指定されていました。
新編相模国風土記稿に見える八王子権現が名称を改め、仏教色を廃することで郷社となったのですが、問題が起こります。

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11:06:22
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昨日お参りしてきた神奈川県足柄上郡開成町の酒田神社は、明治42年に創建、近代社格制度における郷社に指定された神社。
明治22年に周辺の七村が合併して酒田村になった後に、各村の鎮守を合祀して創建されました。

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06:46:34
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:sagamidon: {おはさがみ〜