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この件、無批判にマスクの差別言説を垂れ流しているメディアがあったようだが、それは差別への加担行為だ。この記事のように最低限のファクトチェックの上、背景を含めて報じてほしい。
イーロン・マスク氏、トランスジェンダーの自身の子どもは「死んだ」と主張する
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@jamesjames1910 おもしろいもんですねー
SFの未来が実現してみると、現実というのは、過去の賢い人が考えた未来とは、やはり微妙に異なってくる。
@kanageohis1964 ありがとうございます。公害問題で、企業は自分らの都合悪いことは隠すって分かってたし、環境保護や消費者運動もいい加減歴史は長いはずですが、いろいろ繰り返したあげくの今ですね。
@mikanshibano まぁ、核戦争の脅威はあの頃本当に喫緊の課題でしたし、そちらにフォーカスが行っていたのはあの時期の世相としては当然だったかと思います。
地球温暖化が世界的に認識される様になったのは、やはりアル・ゴアが活動し始めた頃からじゃないですかね。それ以前から研究はされていたものの、まだそこまでの精度はなかったですし、最近になってBPなどが自分たちのビジネスのために研究を潰したことが明るみに出てきましたし、その分だけ時間がかかってしまったのは確かだと思います。
それでも既に30年以上は経っているんですよね。その頃からもっと対策に本腰を入れていたら…とつくづく思います。
1970年代頃、人口爆発とか、石油の枯渇とか、光化学スモッグで人がバタバタ倒れるとか、洗剤のリンによる赤潮とか、米ソの核戦争とか、そういうのが「心配な怖いこと」だったと記憶している。
少子化や温暖化は、研究者は予測していたのかもしれないけど、子どもだった自分の知る範囲では、聞こえてこなかった。
その頃、「核戦争で人間が滅びて、その後にはゴキブリが残る」という物語があったような気がするんだけど、あれは何だったんだろう。怪談レベルの未来予想ヨタ話に反映される人々の心配は、時代によってどういう変遷を辿っているのか。たぶん、民俗学あたりで研究者がいるかもですが。
じっさいに ChatGPT-4 以降がこれを実現してしまった未来からこの文章を見て思うのは、人工知能の計算力のなさ。あいつらマジで計算できない。少なくとも今のところ。めっちゃ“文系”
なんかわれわれが「人工知能」というものに持ってたイメージとぜんぜん違ってて、おもしろいなー、と思うのでした。
>余計なことを書くと、データベース的で枚挙的な知能の存在を考えると人工知能はいま人間が予測しているより遙かにはやく実現できることになる。
>
まわりを見渡して人間の世界がこれから迎える2050年危機を乗り切るほどのブレークスルーは、人間の知能の能力を超えているので、現実には自己アップグレードを繰り返したプログラム知能によるほか方法はないようにみえる。
そうして(気が付いたひともいると思うが)これはわれわれの「神」が意識的に万能である必要がない、という面白い思考の方向を示している。
神は偶然であってもよいし、人間と同程度の知能の持ち主であって何ら矛盾はない。
>
「思考」という語彙が曖昧ならば「判断」という言葉になおしてもよいが、人間の「判断」は案外と、それまで考えられてきたような神秘的な働きではなくて、枚挙的で手続き的なものにしかすぎない可能性はかなり大きい。
知能の定義をそういう方向から見直したほうが、「イワシがカヤックを飛び越して遊ぶ」ことや、前にやはりブログ記事で述べた事例のように猫が緊急のときには明瞭な「会話」を試みることの説明が自然なものになる。
猫には額がないことでわかるとおり器質的に猫にそれだけの「知能」がないのは明かなので、つまりはこれまでの「知能」の定義が間違っているのだろう。
>前にこのブログの記事でカリフォルニア大学バークレー校で行われた実験と人間の「自由判断」が潜在意識がくだした決定の追認にすぎない可能性について書いたら「人間の意識が受動的だなんてバカなのではないか。おまえなんか心理学の知識ゼロのくせにヘンなことを言うな」と激昂したコメントを送ってきた人が複数いて、なんでそんなことで激昂するのか判らないので「ヘンな奴」と思ったことがあったが、行動心理学の権威と脳神経学の研究者であると述べるその激昂した「研究者」のひとびとには悪いが、へーぜんと述べると、人間の自由意思自体がパチモンであるというのは依然として正当な疑いなのであって、
その場合、便宜的な解決にしか見えなかったワープロ的「簡易データベースとしての知能」としての知能が案外と真実に近くて「創造性」のほうがバグである可能性まである。
>本をたくさん読む人に多いが教室の天井から降ってきた教科書的な知識や修辞を自分の思考であると「錯覚」して自分の意見であると述べる人はたくさんいる。 話したり書いたりしていることを見ると、自分で意識しないうちに自分が読んだ本の書き手の思考の方法をとりいれて、その文脈、あるいは論理ベクトルのなかに異なる語彙を盛っているだけであって、到底「思考」と言えるようなものではない。
https://note.com/gamayauber1001/n/n7d07432d163c?s=09
>
現実が現実なのではなくて、その現実への認識こそが「現実」なのである、あるいは、それが出発点でしかありえない、とルネ・デカルトは述べている。
Cogito ergo sum という例の漱石の「三四郎」にも出てくる「あれ」です。
日本語でいまちょっと見てみると、ずいぶん哲学的にとらえられているが、どちらかと言えば、いま振り返ると科学の基礎になった考え方であるとおもわれる。
https://note.com/gamayauber1001/n/n9549e62c515f?s=09
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小学生が小学校の校庭で遊んでて老人にぶつかって賠償、ってなんか理不尽に感じるんだがどうか
https://mainichi.jp/articles/20240725/k00/00m/040/178000c