邦訳版が出る前からずっと気になっていたのだが、何度も頓挫していてようやく読んだ。おもしろかった。現代を生きる上で読めて良かった
1万年前農耕で生まれた余剰から経済を始めた人間、産業革命以降あらゆるものを生産し、ついには「人間の行動」そのものを余剰として利益を生むようになったという話。
人間の行動データが価値になることにGoogleが気づき、ターゲティングしていく流れがすごく詳細に書かれていた。社会は何を求めてどう変容したのかも、すべてうやむやにされず600ページみっちり書かれていた。
>ラリー・ペイジは語る。「我が社の目標は、ユーザーがグーグルで経験するすべてを、きわめてシンプルにすることだ。ユーザーの要求をあらかじめ熟知しておくことで、即座に、ほぼ自動的に応えられるようにしたい」
https://seekingalpha.com/article/299518-google-management-discusses-q3-2011-results-earnings-call-transcript
↑の目的であらゆる行動データが取得され利用されていくさま、読み進めるほどきもいな…となっていったが、もうずっとされてしまっているんだよな。
アメリカは9.11を経てテロを防ぐスクリーニングが重視されるようになった背景もあり広まった模様。
この仕組みにおける人間は「客」ではなく「原材料」として抽出される役割で、集まった莫大なデータから行動が予測され、誰かの行動を導き、場合によっては修正させている。
当時相当バッシングされたようだが、2012~2013年頃のFacebookのニュースフィード操作や実験で、表示内容によって実際に行動が修正させられていたの怖いなとなった。
中国の信用スコア話もかなり詳細に書かれていたが、債務不履行者リストに入っていると飛行機や列車のチケットが買えなかったり、またそのリストの友達がいると自分のスコアも下がるので縁が切られるらしい。エグい…
2017年深圳の展示会での顔認証システムの精度がすごかったという話も書かれていた。当時の上司が行ったやつかもしれない。日本の防犯カメラの1000倍の精度だと言っていた。信号無視すると顔で特定されスコアが下げられるらしい。エグい
自分の行動データを提供する代わりにローンや保険料を値下げするサービスなんかもあったりするらしい。これは日本でも似たのあったかもしれないが。
得になるならいいじゃんとか、自分は悪いことしないから問題ないよと言う人が結構知り合いでも多いのだが、自分はいまいち自分が信用ならないのでそちら側に自分を置くということができそうにない。
どこまで提供するか、されたいかを選べると良いのだろうけれど、実質みんな同意マンになっているという現状。
利用規約やプライバシーポリシーをちゃんと読むと1回45分くらい・1年で76日かかるらしいが、実際は14秒(中央値)で同意しているらしい。
https://hdl.handle.net/1811/72839
https://papers.ssrn.com/abstract=2757465
あと選ぶのめんどくさい、AIが選んでくれるならそれでいいというパターンもあると思う。
自由意志なんてものは無知とイコールであって、自由と尊厳なんかを讃えているから発達を妨げるんだ!と唱えたスキナーという人がいたらしい。(バラス・フレデリック・スキナー『自由と尊厳を超えて』)これはこれで興味あるので今度読んでみたい。
スキナーを継承したようなアレックス・ペントランドという人の話。
>あるインタビュアーは、ペントランドについてこう説明する。「人間は組織にとって最も価値ある資産の1つですが、多くの企業は今も、20世紀の考え方で経営を行っています。……ペントランド氏は、常に組織に混乱をもたらす要因を知っています。それは人間です」。
https://singularityhub.com/2016/05/16/mits-sandy-pentland-big-data-can-be-a-profoundly-humanizing-force-in-industry
SFゲームのラスボスか?みたいなセリフで笑ってしまった。(リンク先見るとそこまで強い調子にも読めないが)まあ実際そうでもあるので、笑っていられるうちが花かもしれない。
人間は産業文明で自然を犠牲にした前科があるので、情報文明では人間性を犠牲にする可能性あるぞという話は、まちがいなくやるのが人間…と思った。
個人は同じミスをそれぞれ起こす可能性があり無駄である、自動運転車は同じミスをしない一度学習したらすべて共有できるというくだりはタチコマだ…となった。
要はタチコマ的なのが人間にも適用される可能性があるということだよな。
そんな奴別れなよ・つぶしのきく仕事選びなよ・そんな派手な色買ったらあとで後悔するよ…等の提言、他者の統計データから9割正しくても背いて黒歴史になることは多々あると思うが、さらに10年経ったらまあ勉強だったなとなるのが人間だとも思うので、その選択肢が捨てられるのは良いことなんだろうかとは思う。
正解らしき行動が簡単に提示される世で不確かな自分の選択をして失敗すると、非難がよりひどくなりそうだし猶予が許されなさそう。
ただ、理由なくこの状況が生まれたわけでもないようで、社会がこうなってきた経緯について述べている有名作はさすが目からウロコだった。
生まれたときからやることが決まっていた時代と比べて、すべて決められる・決めなくてはならなくなってから人間は不安なのだというのはなるほどとなった。分業はばらばらな社会をまとめるものとして生まれたのではないかということも。(卵が先か鶏が先かな面はあるかもだが)
>分業の最も驚くべき効力は、生産性を上げることではなく、分割された集団を連帯させることだ。その役割は、……単に既存の社会を装飾したり、改善することではなく、分業しなければ存在し得ない社会にすることだ。……分業は単なる経済的な利益をはるかに超える。なぜならそれは、社会秩序や道徳の基盤を構築するからだ。(エミール・デュルケーム『社会分業論』)
>アイデンティティを探求した偉大な心理学者エリク・エリクソンはかつてこう述べた。「初期の精神分析の患者は、自分は何者なのかはわかっていたが、そうなれないことを悩んでいた。だが現代の患者は、何を信じるべきか、自分が何者になるべきかがわからなくて悩んでいる」。(E・H・エリクソン『幼児期と社会』)
>全体主義は、悲劇をもたらした偶然の方向転換としてではなく、「今世紀の危機と深いつながりがあるもの」と見なされるべきだと彼女は警告し、こう結論づけた。「今世紀に全体主義がはびこったのは、それがおぞましくも、この社会が抱える問題にうまく対応したからだということを知っていなければ、わたしたちの時代の真の問題を理解することはできず、ましてや解決することはできない」。(ハンナ・アーレント『全体主義の起源』)
>1966年、社会理論家テオドール・アドルノは、感動的なエッセイ「アウシュヴィッツ以後の教育」において、ドイツのファシズムが成功したのは、より良い生活の追求が、多くの人にとっては多大な負担になっていたからだと述べた。「ファシズムとそれが引き起こした恐怖は、古くからの権威が崩壊したのに、人々は自己決定する準備が整っていなかったことと結びついている。人々は、いきなり与えられた自由が自分にふさわしくないことを証明したのだ」。
筆者の書き方は終始冷静だったが、結論にあったこの文は、どちらかというと自分もそう思う。
>「search(探求/検索)」という言葉は本来、実存の意味を探求する旅を意味し、すでに存在する答えを指でタップすることではない。
#読書
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