世界の守護者たる神が必要であるという考えには、もう必要ないという理由以上に大きな問題があります。それはパターナリズムです。調和と並ぶもう一つの神の古き思想です。その根源はやはりv3に遡ります。
ナドラガンド大戦の発端はナドラガが、優れた竜族こそがすべての種族を総べるべきと主張し、争いになったことですが、この強い立場のものが弱いものの為と称して介入や干渉や支配を行うこと、これがパターナリズムです。思いやりや優しさなどが背景にあるのが重要なところです。エステラに対しナドラガが「愛しているに決まっている」(※6)と言ったのはこのことをよく表しています。問題は、それが本当に当人の為になっているのかということです。
そしてv6です。実のところ、英雄はこのナドラガととてもよく似た人たちでした。何かを愛し守りたいという気持ちを強く持っていた人たちです。だからこそ天使の計画に乗って神化の儀を受け入れたのです。しかし、結局うまくは行きませんでした。それはナドラガが破綻したのと同じことです。彼らは人を守りたいと思うあまりその人たちの意志というものを軽視し、省みなかったのです。思い通りにならないことで傷つき心の中に闇を抱えましたが、それはある意味当然のことです。思い通りにならないものまで思い通りにしようとしてしまったのですから。必要だったのは神のチカラではありません。神の古き思想であるパターナリズムを捨てることだったのです。
このように考えるなら英雄たちが消滅するのは必然です。彼らは悪神から戻る過程でそのパターナリズムが間違っていることを自覚しました。世界に神は必要ないということを理解したはずです。チカラを使い果たしたようには見えないリナーシェが消滅したのはこういう理由によります。つまり自らの意志で消えたのです。そしてフォステイルが生き残った理由もわかります。フォステイルは自分がやるべき仕事を他人に押しつけるようなキャラ(※7)なので神となってもパターナリズムとは無縁なのです。
最終決戦にラダ・ガートが参加したのは、ヒロインだからでもパートナーだからでもなく、神だからです。最初に述べたようにDQXの最終決戦は神との戦いです。その神が味方にいたということは、戦うべきものは味方の中にあるということであり、それは究極的には神からの解放というv6の物語を表現したものです(※8)。これがv6という物語の結論です。
※6 v3.5「竜を愛した者たち」
※7 762「薬師の天使は手を借りたい」
※8 ジア・クトとの戦いは神の因縁の最後の後始末という、神からの解放の物語である。
#dqx65後期のおはなし