調べ物してると原稿が進まないよォ〜〜!!ウッウッ
論文中で言及されてたコッペルカム『人工楽園』、19世紀の温室にまつわる図版本?っぽい?
読みてえと思って検索かけたらまぁ絶版高騰本だったわよ 幸いにして都内の図書館にはいくつか収蔵されてるようなので近々借りに行くべ…
温室の歴史をあれこれ深掘りしている 楽し〜〜
今日読んだのはこれ「英国の温室の歴史と椰子のイメージ 」
https://www.keisen.ac.jp/extension/research/gardening/pdf/e1_niiduma.pdf
↑上記論文の公開元はこちら 南アジアの園芸に関する論文も掲載されてるっぽい あとで読む
https://www.keisen.ac.jp/extension/research/gardening/engeibunka/engeibunka01.html
(ヨーロッパ旅行の際にやっぱキュー王立植物園も見てくるべきなのでは?という囁きが日に日に聞こえてきて困る 歴史も踏まえた上で……)
植物園行きてえ〜〜 名古屋市の東山動植物園に国内最古の温室(1937造)が現存しているらしいですね 行きたいのですが………
本の返却ついでに、古書店でオスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』文庫本を買ってきた。このところ読んだ幻想文学評論でけっこう言及されてるので
ジャクスンが推してるサドの著作も一本くらい味見した方が良いのかもしれん 追い追い……
積読タワーばかりが増えるよ〜〜原稿も書くんだよ〜〜
RE: https://misskey.design/notes/9s470ipcia
今日の焼き魚はかなり美味しくできましたよ
やっぱり新鮮なアジでも塩振り工程を入れた方が良いようだ 前回サボったらなんか身の水分が多すぎて微妙だったんだよね
Twitterにも書いた読書メモをこちらにも転記&清書
https://twitter.com/feelingskyblue/status/1779454757339603092
面白かった!トドロフの幻想文学序論の後に読んで正解。
トールキン批判の内容は正直同意できないけど、幻想文学の視座を一つ加えてもらった感。ブックガイドとしても良し。原書刊行は1980年ごろ…だったかな?たしか。
序文と結論から、本書の骨子でありそうな箇所をそれぞれ引用。
幻想文学はこのようなやり方で、文化的秩序の基盤を指し示し、ほのめかす。どのようにかといえば、幻想文学はわずかの間ではあるが、無秩序な状態への、違法状態への、法の外側に横たわるものへの、支配的価値体型の外側にあるものへの扉を開けて見せてくれるからである。
幻想文学は、文化の語られぬものとみえぬものの痕跡をたどる。沈黙させられてきたもの、見えなくされたもの、覆われて「不在」にさせられたもの。(…)語るとは、支配的秩序の言語を使用すること、それゆえにその諸規範を受け入れること、さらには秩序外の怪しげな領域を覆い直すことである。無秩序に対してのこうした探求は、支配的な文化秩序内部の基盤からしか始められない。だからこそ、文学的幻想はその秩序の限界をあらわにする指標となる。「非現実的なもの」についての探求は、「現実」の領域——幻想的なるものがそれ自体との差異によって問いかける領域——に相対することによって始まる。
幻想文学は「現実」を虚にし、現実の不在、大いなる他者、語られず見られないものを暴き立てる。トドロフが書いているように、「幻想文学は我々に、我々が幻想文学に頼らぬ限り近づけはしない地平の横断を許してくれるのである」。後半にかけては、秩序回復に留まるのがいわゆる(ハイ)ファンタジーで、既存秩序の転覆を書くのが幻想文学である、みたいな論調だったんだけど、刊行後に著者がエンデをどう捉えたのかが気に掛かる。
幻想文学は、絶対的意味への、限定され「了解された」世界以外の何かへの憧れを表現する。しかし、「魔法の国」の物語と疑似宗教的物語が聖なるものへの郷愁を通じて機能する一方で、現代の幻想文学は後ろを振り返ることを拒否する。それは、裏返された神話の一形態であり、現存しているものの内にある未知のものに焦点を合わせ、一見すると充実している現実の内側にある空虚さを発見する。不在そのものが前景化され、テクストの意味的な中心に据えられる。刊行当時はトールキンやルイスをファンタジーの主軸とする研究が多数だったそうなので、その潮流を変えたかったんだろうな……。指輪物語読んでその理解にはならんやろ!!とも思うが。。