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自宅では、PC(デジタル機器)へのダメージが怖いので、PCを動かしているときは27-28度を保つようにしている。
 ちなみに、強い冷房は苦手なので、体調を崩さないように程々の温度設定にしている。就寝時も扇風機のみだが、寝苦しさとかも無いし、これが私にとっては最適解のようだ。もちろん水分は十分摂っている。

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酷暑の太陽光線を浴びるのは、実を言うと、けっこう好き。
 帰宅時などに、玄関口で午後の日差しに背中を向けてしばし焼かれるのは、ピリピリした刺激があって気持ち良い。汗は、すぐに入浴して洗い流せばすっきりするし。
 もちろん、非常に危険な行為なので、めったにしないけど。

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あちらに最後まで残るのは、「そこで長く活動しすぎた人たち」なのだろう。
 言い換えれば、特定のプラットフォームに対して、あまりにも多くのもの――ライフログからパーソナルな繋がりから情報収集リストまで――を預けすぎてしまった人たちだ。特定のプラットフォームに、個人的な価値のあるものを預けすぎるのは、きわめてリスキーなことだ。そのことを、私(たち)はここ十数年忘れていたが、改めてその危険性を意識させられている。
 とはいえ、最初にも書いたように、「あまりにも多くのものを預けすぎて、離脱できないから」とそこに留まり続けるのは、今後さらに多くのものを預け続けていくことであり、最終的な損害をさらに増大させることになりうる。……もっとも、それをサンクコストと割り切って断念するのは、やっぱり難しいことではあるけれどね。

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そして、クリエイターや研究者などの個人(情報発信者)たちが、それに続くだろう。プラットフォームの専断横暴に振り回される(例えば恣意的にバンされる)のは、クリエイターたちにとっては死活問題だ。だから、ある程度有望な代替的存在が出てきたら、彼等は危険なSNSから急速に離脱していく可能性がある。彼等にとっては、メディア規模の大きさだけでなく、情報蓄積の確実性や連絡先確保の安定性もまた、きわめて重要な関心事項だ。
 さらに公的機関も、その性質上、より安全なプラットフォームを選好するだろう。差別発言が横行していたり、あるいはログインしなければろくに情報を見られなかったりするようなメディア(※今のtwitterはそうなっている)は、そうした公共的プラットフォームとしては失格だから、そこからの離脱のインセンティヴは、公的機関のアカウントについては、比較的強く働くだろう。(続)

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あっちからの離脱も、わりとスムーズに進んでいくんじゃないかなあ。
 まずは企業広報系のアカウントが、新たなソーシャルメディアに積極的に進出していくだろう。なにしろそれが広報の仕事だから(※実際、現在のThreadsは企業アカウントだらけっぽい)。
 そして彼等は、代替的なSNS上でも、様々な情報を提供したり、あるいは特別なサーヴィスを提供したりするようになる。他のSNSとの並行展開でも構わない。一般ユーザーとしては、「どのSNSを使っても情報を入手できる」ということになるからだ。
 そういう状況下では、これまでのような独占状況は容易に崩れていく。ソーシャルメディアの武器は、結局のところ「ユーザーたちが自発的に提供した大量の情報がそこにある」ということに存するわけで、言い換えれば、「ユーザーの減ったSNS」「まっとうな情報や楽しいコンテンツを入手できないSNS」は、どんなに優れた機能を持っていても、役立たずだ。(続)

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あっちの騒動は、もはや対岸の火事だから気楽に眺めていられるなあ。あちらに留まっている当事者たちは可哀想だけど。
 あるソーシャルメディアが明らかに悲惨な状況になっているというのに、そこに留まって活動し続ける(=投稿したり交流したりする)というのは、「沈みゆく船に、大事な荷物を積み込んでいく」のとほぼ同義だろう。言い換えれば、駄目だと思ったプラットフォームからは、できるだけ早く離脱する、それこそがダメージを最小化する。