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「趣味とソーシャルメディア」については、模型界隈はかなり好ましい状況にある。模型(完成写真)を投稿できるサーヴィスがいくつも存在して、そのいずれかにアカウントを作って作品写真や途中経過写真を投稿していけば、同好の士から好ましいリアクションを受けられる。もちろん、他人の制作写真を見て回り、自分にとって参考になる作品にブックマークを付けたり、コメント交流したりすることもできる。そして、気の合う相手(ジャンルや美意識の近い同好の士)を見つけることもできるだろう。
 難しくなったのは、「みんなで同時に盛り上がる」ものだろう(例えばアニメの感想とかスポーツの実況感想とか)。もっとも、そういうのは「つながっている特定の誰か」が相手でなくてもいいわけで、どこかそれなりに人の集まっているメディアに行けば、大抵は満足できるのではなかろうか。YTやtwitchのような動画配信メディアもすでに存在するし(デジタルゲームのプレイイングなどもそこでシェアされている)。

TAMIYAのプラモデル「1/700 プリンス・オブ・ウェールズ」。
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特定のソーシャルメディアの一極支配には、それはそれで大きなメリットがあったのは確かだ。情報発信(たとえば宣伝)にとっても、そして、情報探索(例えば同好の士を見つけたりする検索)の側でも。あれが失われたのは、うーん、確かに痛い。特にmstdnは、検索性能を意図的に低めているので、新たな同好の士を見つけたり、関心のあるトピックへの言及を探したりするのがかなり難しい。しかしそれでも、一般的なweb検索がゴミ/デマ/詐欺まみれでほぼ機能停止している中では、ソーシャルメディア単位に切り分けられてその枠内で絞り込んでいくのは、一定の合理性がある。
 例えばmstdnでは、特定の趣味分野を謳っているサーバーが存在することで、同好の士を見つけやすくなっている(ただし、連絡先の確保という観点ではいささか弱いかもしれない)。その一方で、例えばFBのように個人の永続的な連絡先確保という観点で有力なソーシャルメディアもある(ただし、趣味のコミュニケーションや発言の自由さという観点では、制約を感じるかもしれない)。
 まあ、なんとか上手くやっていきたいよね。

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しかし、使い分けといってもなかなか見通しがつかない。メールアカウントの使い分けのように、「仕事向け」「趣味用」「公共的発言」「まったくのプライヴェート(閲覧目的)」などになるのだろうか。ソーシャルメディアそれぞれの特性を見極めて、社会的交流を強く促してくるようなメディアでは、表向きの発言やディーセントな交流を意識するとか、あるいは、ユーザーの匿名性(プライヴァシー)を大事にしてくれるようなメディアや、複数のアカウントを併用できるようなメディア、はたまた差別発言などの攻撃的リアクションを受けるリスクの高いメディアや、企業アカウントの多いメディア、等々。現時点でもそういった違いはかなり見て取りやすいが、それを踏まえてうまく立ち回るのが現代人のメディア生活のスキル、ということになるのかなあ。

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「特定の(単一の)ソーシャルメディアが全てを包含していて、そこを見るだけで十分」というのは理想的だったかもしれないが、それは怠惰でもあるし、一極支配のリスクもきわめて高い(その一つが崩壊したら、全てを一気に失ってしまうことになる)。理想的な単一のオンラインメディアへの安住などという夢を目指すことは、もはや出来ない(目指すべきではない)。これが、この8ヵ月の教訓かなあ。
 今後のオンライン世界は、複数の(ソーシャル)メディアが併存し、それらがいくらかオーバーラップしつつ、我々ユーザーはそれらを併用していくことになるだろう(そうするのが安全だろう)。そして、各メディアの違いを把握して自律的能動的に使い分けるスキルが必要になり、多元的多層的なオンライン世界群を渡り歩いて情報探索するスキルが、あらためて重要になってくるのだろう。多少手間は増えるが、その方が安全で健全だ。少なくとも、差別主義者のCEOに首根っこを掴まれたままでいるよりは。