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「『自分が何に興味を持つか』は神聖不可侵な領域であり、自分が得られるであろう利益によって侵してはならず、自然のまま守られなければならない」という考え方は特殊なものであり、普通は利益に従って興味が上書きされるらしいことに、今さら気づいた感じです。

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うーむ。「興味を管理する」。人によっては30年前(中学生時代)から自明の考え方だったんだろうな。

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だから今、「興味を管理しなきゃいけないの? そんなことできるの??」とか言ってる。

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自分が未だに脱却できていない価値観はこうだ。「勉強とか努力とは、自分のその時々の興味の赴くがままに(≒ランダムに)行うものである。ゆえに、能力の向上とは成り行きで起こるものであり、管理して決めるものではない。」

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聞こえてくることを総合すると、高校大学時代の自分の周りの人たちは、将来高い社会的地位を得ようと日々努力していたのが多数派であったらしく、自分はそういうことをなーんにも考えていなかったばかりか、周りの人たちの価値観に気づいてさえいなかったので、どうなのよってなってる。

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とにかく怖いから「27度のお湯」のようなおかしな語句でもそのままコピペしてしまうの、「棒の手紙」を思い出す。