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自分がTwitterから決定的に心離れたの、X名称変更事件そのものというよりも、XやRPなどの変化に適応してる人が普通にわりといたことに、自分の異質さをまざまざと思い知らされるのがつらかったから、というのが大きかったな 思い返してみれば
今でも以前と変わらず便利に使えてるよ、って人もどうやらいるみたいだから、私の理由は機能面っていうより感情の問題が多いんだろうなって思う 場を支配してる雰囲気や力場みたいなものに苦しみを感じるようになったっていう、なかなか客観的な説明がしづらい理由
不満を述べながら付き合いつづける、っていう行いがそもそも自分にとって難しいんだろうな もうしんどいな、って思ったらなるべく自分の苦痛を減らす方向に動かなきゃってなる 痛みに弱いタイプなので(?)
ふつうに事実の積み重ねもあるよね あり得ない規約変更したりさ 突然Twilogもfeatherも奪われたときのショックとかさ Webイベント当日の突然のAPI仕様変更とかさ だんだん重りが増えたら糸だって切れる
関連して、いやだな、あんま好きじゃないな、って思った人の前ではぜんぜんうまく笑えなくなるし話せなくなるので、物理的にめちゃくちゃ距離をとろうとする まあそういうことなんだろうな [参照]
社交辞令を述べるとか、とりあえず社会的なほほえみを浮かべておくとか、そういうの大人としてできたほうがいいんだろうなって思うんだけど、体が物理的にこわばるのでなかなか難しいんだな〜世の大人はすごいな