子供リクエストにより、家族でディズニーのアラジン(アニメオリジナル)を見直していて、何もかもあまりに見事に緻密に構成されていたことに今さら驚いた。
魔法のカーペットがなくても、とりあえず今そこにあるカーペットに乗って飛び出せば、わたしはわたし自身のマスターになれるね。
子供リクエストにより、家族でディズニーのアラジン(アニメオリジナル)を見直していて、何もかもあまりに見事に緻密に構成されていたことに今さら驚いた。
魔法のカーペットがなくても、とりあえず今そこにあるカーペットに乗って飛び出せば、わたしはわたし自身のマスターになれるね。
究極、英語と数学と国語ができればどうとでもなるのは、入試のシステムがどう変わろうが、入学も入学後も卒業後も、古今あんまり変わらないと思う。
どこかの世界のことをこちらの世界のことばで表現し、こちらの世界のことを別の世界のことばで表現したいと思う熱量と、表現できる、あるいは表現できる未来に向かって努力できる能力。
東大の二次は伝統的に、実は「とがった子」を拾い上げるのに向いていて、むちゃくちゃ苦手な科目があってもむちゃくちゃ得意な科目があれば合格できる配点になっていたと思う(私の世代でも知ってたし、ドラゴン桜シリーズでも言われてたし、今の高校生くらいでもそう聞いていた子は多かったはず)。
一次足切りライン引き上げで、そういう「とがった子」のチャンスが奪われるのでは、みたいな懸念は確かにあるよね。
それは、総合型選抜枠拡大を睨んでいるのかなと理解している。
ただ、今はいわゆる総合型選抜枠というのはない上に、かろうじてある学校推薦枠の悪しき例として、ひやっしーの人が出てきてしまったように、最低限二次を突破できる能力を見ないで取った子たちをきちんと育てる能力が、今の東大にあるかどうか。それは足切りラインを上げて生まれた程度のリソースで補えるものなのか。あたりは不安が残るかな。
東大の、特に本郷の先生たちは、学部学生の教育より自分の研究のことしか考えていないから。