https://twitter.com/chokudai/status/1386866643054125058 自分だったら、「狂信者がたくさんいる中でそれを書く」リスクを気にするより先に「狂信者がたくさんいる」と書くリスクを気にするわ
https://twitter.com/chokudai/status/1386866643054125058 自分だったら、「狂信者がたくさんいる中でそれを書く」リスクを気にするより先に「狂信者がたくさんいる」と書くリスクを気にするわ
「欠損値の処理が適切でない」という指摘をすること自体は妥当なんだし、ちゃんと考える人はそれで理解するでしょ。妥当な指摘だけしておいておかしいこと言ってくるヤツは無視しときゃいいのに、「狂信者」なんて言い出すのは余計な挑発でしかないと思う。そもそも欠損値の処理の誤りに気づかないことは狂信というわけじゃないんだから
単に、YouTubeのコメント欄で指摘するのはアウェー感があるから厳しいぐらいのつもりかもしれないけど、自分の感覚ではコメント欄もTwitterも大して変わらん、燃えるときは燃える
自分がやったことについて、どうして自分は正しいと思っているのか言うことは、もちろん正しい。 だけど、自分の信じる正しさに拘泥して、アンチがいなくなるまでいつまでも論戦するぜ、という態度は消耗するし、人を信じてもいない。やめておいた方がいい。
「人を信じる」の意味が難しいんだけど、なんというか、何も言わなくてもokなんだ、これ以上何か言ってもあまり益はないのだ、と弁える、そういうこと。 アンチを改心させなくとも問題はない、それを信じる、そういうこと。
「全員に自分のことを理解してもらわないと気が済まない」という気持ちを人間は持ちがちだけど、身の回りの人間はともかく、世の中の全員に理解してもらえる人間なんて世の中にはほとんどいない。
なんというか、「いい人」ほど、アンチとのやりとりの経験が浅くて、アンチへの割り切りができないんじゃないのかって気がしちゃうんだよね…
突っかかってくる人間が一人二人しかいなくて、頑張れば説得できそうで、そうすることによって今後の人生が豊かになると思うんなら説得するのがいいと思うけど、そうでもなければ無視するな…
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