月人の何が嫌って無性の宝石たちを女の子として扱ってるとこで、その最たるものがエクメアとカンゴームであのへん読むと今でも「気持ち悪い」って感想が口をついて出る
人間、自分たちと常識が異なる人々と同居するのは無理なんかもしれん 昔なら壁一枚、村ひとつ隔てたら見ずにすんでたものが何でもかんでも可視化されたせいで、距離も隔壁も無くなってしまって許せなくなっちゃってんだろうな 避難所がないのよ
自由と多様と先進によって保守派にとっての安全地帯がなくなってしまった結果の過剰防衛に見える 自由とは既存の枠を取っ払うことだから、自分の自由を訴えるだけでなんらかの暴力性を伴うもんなんやな…
自分らと同じ価値観を持つ人に囲まれることで得られる安心って絶大なもので、多様性を認めるというのはその安心を剥ぎ取られることに他ならないから、そらまあ死にものぐるいで異なる価値観を潰しにいくよね…
まあ少数派ってのは生まれてこのかたそういう安心感を剥ぎ取られた状況で生きてんだけどね だからこれは戦争なんよ 異なる価値観を持つもののあいだで起こってる縄張り争い
宝石の国第1話から「死ねないので何事も諦められない」って核心から始まってんのね 仏教用語の「諦(satya)」は真理や悟りだから、宝石のままでは絶対に悟りは得られないし、諦に至るまでの見聞や思考が博物誌編纂として提示されてるのにフォスはそれを軽視してて自ら救いの道を閉じてることになる
フォスが「諦」を放棄したことによってずーっと苦しみが続いていくってお話なのか 博物誌を編んでいれば見識が蓄積されて諦に辿り着けたかもしれんのね
宝石世界、能力の低いものや特異な能力のあるものに対する当たりが厳しくてきっついな…宝石たちのキラキラした笑顔もまたいろんなものを覆い隠して成立してるんや
役に立たない、役目がない、のがこれでもかってくらい嫌なこととして描かれてんな…過酷で役に立ってないと自我も関係性も保てないって無限の苦しみ
レッドベリルが持ってきた夏眠衣装にフリフリなのはちょっとってカンゴームに言わせてんのもゴーストなんよな…このへんカンゴームの意志がないのを知ってから読むときっつい
PLAN75の予習として >それは「自己責任」の中へと「障害者や高齢者や介護者が」棄て去られる社会ではなく、「障害者や高齢者や介護者から」棄て去られていく社会、ではないのか。その先にできていく人の世とは、一体どのような場所なのか。 synodos.jp/opinion/societ…
>アシュリー事件とは、米国のシアトルこども病院で04年に重症重複障害のある当時6歳の女の子アシュリーから子宮と乳房が摘出され、ホルモン大量投与で身長の伸びが抑制されたもの >「介護をしやすく」「本人のQOLのために」「赤ちゃんと同じ重症児に尊厳は無用」などの議論 合理的だが非人道的…
宝石の国、全員死んだらええのにって思うけどそれこそエクメアの悲願みたいなもんだから、先生の致命的なエラーまでフォスに引き継がれて祈りを得られずに虚無虚無生活のままずっと死ねずに捨て置かれたらええのに