どう見てもインターネット作り話(差別入り)にみんなが真剣にコメントしていて、怖いですねえ〜
どう見てもインターネット作り話(差別入り)にみんなが真剣にコメントしていて、怖いですねえ〜
「差別するような作り話やめろよ」って真剣に言ってんならまだしも「うんうんそれは差別される理由があるよね(真剣)」って言ってるのでワールズエンド
昔に買った男女論というか、男性へ批判的な目を向けるタイプの本をきっかけあってぱらぱら見てみたんだけど、今見ると「うーんなんか…」な部分あるな 昔読んだときもそんな大賛同はしてなかったと思うが
「相手がまとまりのない愚痴を話してきたとき、まず感情を肯定した上で論理的読解をして理解を示そうとすることが重要だよ」というようなことを話してて、語り口としてもそんなに厳しい言い方ではなかったんだけども、それにしたってそれって無料でやるようなことなのかなあ、と思ったりもする
いやまあ相互にケアし合う関係性であるなら、お互い様としてお互い頑張ってそういう理解を深めよう、となるのはなると思うけど、それの注釈もなしに「共感した上でまとまりのない話も頑張ってまとめてあげようね」っていうのは、話を聞く生業もしていない者が容易にできることでもないんじゃないかな
いつも同じことをしてあげてる上で自分は無碍にされてる、だったら理解もできるが、自分だけがその能力を求めていたりしたら、それは求め過ぎかもな〜の感じ
大変だよ人に寄り添って話聞いて満足させるのって じゃないとカウンセラーなんて仕事ないからね
即座に論理的な反応を返すことって万人にできることではないし 作文で提出されて後日感想を返すほうが得意な人もいる
ていうのを思った 「おとこのひとはおんなのひとに寄り添ってあげようね」みたいなの、おとこのひとにも色々いることが見落とされがちなとき多い
やはり差別の是正を考えたいときはあんまり個々の事象に注目しすぎない方がいいかも(大事なときは大事だけど) あくまで構造の話をしないとなんか、ズレやすい
ずっとトランスジェンダー差別をしている人が、ノンバイナリーも外国籍者も地方在住者も差別していて、頭が痛くなってきたのでもう見るのはよそう……
俺みたいな「恵まれてるのに血縁に暖かな感情を抱かない人間」にもなにか不満を言いたそうなホームをしていて、そうかい……という気持ちにもなる
ノンバイナリー差別、もうなにか理屈を捏ねることも放棄していて(最初から捏ねられてなかったけど)、ただ自分たちと同じじゃない人が気に入らないんだね、でしかない
すべてが完璧に十分というわけではないが、世間一般に比較して満足するような生活環境を与えられていたにも関わらず、血縁に対して世間一般に比較して”冷たい”感情を持っている、というのが一体なんでなのか自分でもわからんので、「そういう生来的な性質です」って言われたほうがまだマシかも
理屈の上では「親がどんなに十分なものを与えていても子供にはそこに愛情を返す義務はない」と考えているけど、そうは言っても世間がよく言っている状態と自分の状態が違っていると悩める仔羊ごっこもするわけ
コミュニケーションが不十分とかもあんま思わないし、寂しい思いをした記憶もそんなにないのに、心のふるさとみたいにはなってない 何かあったら実家に帰って落ち着こうとか、親にそばにいてもらおうとは思えない 親に悪感情をあんまり持っていないみんなはそういうのを思っているらしい
でもあれだな、一回優しい担任の先生にあんま親にも話したことないことを話したことがあって、今思えばそれって親にあまり信頼を抱いてない片鱗だな
っていう、なんか箸にも棒にもかからない上に別段今困ってないHAPPYオタクが根暗だからブツブツ考えてるようなことを他に思ってる人がいないか探そうかな〜と思ったんだけど、ないなら自分で書いたほうがいいのか だって探して見つけた記事とかも書いた人がいるんだもんな
クィアであることを表明するのって別に魔法の言葉じゃないんだから社会での困り事がそれで解決!するわけじゃないよ、それを求めて表明してる人って多くはないよ、ってことが根本的にわかられてない問題
困り事は解決してほしいけど、マジョリティの真似をしてた方が遥かに困らないということは、多くのクィアがすでに学習していることだと思う
親に(その他一親等の血縁に)対する”冷たい”気持ちを感じているが、葬式になったら思い出が溢れて泣いてしまう、とかだったらドラマチックでエッセイになるかもしれないな 今のところ期待できないけど
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なんでもない顔をしてさらっとマイノリティ性を開示するのも慣れてきたし、なんなら心情もだいぶなんでもなくなってきたな
「彼氏さんと?」「いや彼女す」のやつ、ほんとにまあまああるね 俺はまあ割と大丈夫な方なので、大丈夫な奴が事例を示していった方が世の中がよくなるやな
プレッツェルのことずっとよくわかってないんだけど、あれはスナック菓子という認識でいいんですか?
ドイツではパンっぽい感じだけど北米ではスナック菓子なんだ スナックの方は魔改造プレッツェルって感じだな
スナックプレッツェルは魔改造というかプレッツェルを模して作った全然プレッツェルじゃないお菓子みたいなイメージの方が妥当かも
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クラフトジンジャーとかもおもしろい味がするので好き 自家製シロップは突き抜けた味設定にできていいよな
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自慢話はまあしたければしていいと思うけど、一般にあんまり行儀がよくないとされているそれを堂々とやっていると、堂々とやっているな……と思う
多くのZINEが「テレビに取り上げられて、書店に置かれて、喫茶店に置かれる」ことを望んでいるとするのも、若干認識の齟齬ある気がするし 権威主義だ…
俺は個人が趣味で作っている冊子においての価値が「売れ」や「ウケ」で決まるのは、ものすごく嫌だと思う まあそういうのが好きな人もいっぱいいるのも知ってるけども…
まあ”意識高い系”が嫌いなんだろうなというのは全然察せられるし、嫌いなものを腐すのはある種自然な行いであることもわかるけどぉ~……でも~…
実際同人誌って二次創作の印象めっちゃ強いしな~(規模で見ても多分そうだろうし) 個人的には”政治的な話題”が忌避されにくい土壌がありそう、というのがかなり印象が違う
同人作家のカンに触ることを言った人がいて、それを燃料として”意識高い系”をこぞって叩いているという流れっぽいな もうヤバい個人の責任を属性におっ被せるのやめません?
個人的にはZINEの方が政治の話しやすい印象あったな~ というかそういうのに親和的な人がそういうZINEを作ってるみたいなのをよく見てたので
多分場所によるんだろうなあ 同人誌もそうだけど冊子配布の場ってイベントだけではなかったりするし
実際のZINEフェスの要項見てみると「特定の政治や宗教を推すZINE」と書いていて、ふわっとしている書き方だな~とは思うが、CCとかコミケにも適用されてそうな要項
コミケは「表現の自由」を大々的に掲げており、またそういった考えに強く賛同するオタクがたくさんいる故に、政治的に曖昧な(んで若干体制寄りな)姿勢を取らざるを得なくなってる、みたいなのも感じる 大きなイベントって必ずどこかで何か別の大きなものに一部絡め取られてしまってるなあという所感
CCは結構わかりやすく資本の場って感じがしていて、印刷所も巻き込んだ文化の振興とも言えるが、人気があって売れるものの優遇の側面は否めない
文フリも個人の色が出てて面白かったけど、出版社に声をかけられてるような有名な人がやはり強くなっているとの話もあって、商業の側面の強さも感じるところ
文フリはなんか共産党の広報部とか赤旗がスペース出してめっちゃそういう冊子を作っていたので、政治NGではないのは間違いなさそうだが
俺はなんか……個人の自主制作物作家に「【テレビで取り上げられたから/出版社から販売されたから/バズったから/こんなに部数を捌いたから】俺の勝ち!」みたいなこと、ゆってほしくないよ……!
二次創作の場での出版社スカウトだと、「二次創作では売れるけど一次創作だと微妙」の人を篩にかける必要があるが、一次創作フェスだとすでに売れている本をうちで出版しませんかと言うだけでいいので楽みたいなんあるんかな それこそカクヨムのランキング1位から声かけるみたいな
それはそれとして出版社というものの意義も大きいため、ここには大きなモニャモニャがあります そのモニャモニャをちぎり、丸めて、蒸したものが、肉まんと呼ばれます
表現の自由、言論の自由とすればたとえば反社会的な行為を繰り返している人物団体に主張の場を与えてもいいのか、みたいなのは感じる それは表現の自由を盾にして何かを主催・管理することから逃げている気もする
今のヤバ選挙とかもそうだけど、他者を脅かす発言をしている人間が「でもルールに則ってるしさ」と発言の場を与えられ続けることは正しいかと言われると厳しいと思う
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