「オリジナリティがある」という言葉は「オリジナリティがない」という状態がないと成立しないから、だからなんか、そんな言葉に意味はないと思っている のか?
「オリジナリティがある」という言葉は「オリジナリティがない」という状態がないと成立しないから、だからなんか、そんな言葉に意味はないと思っている のか?
それが「良いもの」として語られることに抵抗がある、みたいなのも強いな 「傾向としてこういった作品は少ないね」という事実確認はいいんだけど、「少ないから素晴らしいね」って言われると、別にそうでもなくないすか?って言いたくなる みたいな
濫造異世界転生から、模写、トレース、贋作、コピペに至るまで、人の手が加わっているものには(加わっていなくても)オリジナリティと言える文脈が発生し得ると思っている
というようなことを考えていて、だから自分の作品にオリジナリティがないように見えることなんて些末だな~と思っているから俺はクリエイターというものに向いていないんだろうね~
独創性(ここでは類似の表現が少ないことを指す)の中にも、対外評価の中では良いとされる独創性と悪い(ウケない)独創性があるように見えて、それなのに「独創性とはすべて良いものだ」のような語られ方をするのが、なんか嫌ってことかも
独創的であることが素晴らしいという評価軸は比較でしか得られない、つまり他人の目とものさしが入らないと成り立たないもので非常に客観的でありそこには様々な俎上に上げられる”価値”と同じく高いと低いが存在するのに、独創性はそれそのものが良いものでそこに貴賤はない、のような言い方をされる
そして実際に良いとされる独創性は過度に独創であってはならず、必ず既存のものとの調和の上でうまいことやってる独創こそが評価されてるように見え、その評価の仕方とのギャップでうーんになること多しかも
「独創性があって素敵だ」という評価は「ちょっとはみ出てるけど理解可能なもの」が得られるものであって「全然わからん」にその評価はなく、評価されないなら「創作物として”良い”」ということにはならない、みたいなジレンマ
独自性には「ここからここまでが良い独自性だよ」の基準があって、ありすぎても駄目だしなさすぎても駄目、みたいな
俺が「元々特別なオンリーワン」という感じのフレーズを素朴に信じすぎているが、世の中はオンリーワンであることを思ったより信じていないのかもしれない、という所感
県知事続投なのでテンション下がるけど罷り間違ってクソ差別主義者どもとかにならなかったのはギリよかった……のか?