以前フェミニズムの内容からリストで追ってたけど「…ん?」って思って外した人が、今トランスヘイターに進化(退化)しており、嗅覚正しかったなと思う
以前フェミニズムの内容からリストで追ってたけど「…ん?」って思って外した人が、今トランスヘイターに進化(退化)しており、嗅覚正しかったなと思う
「自分が間違ってないか自省をしましょう」という自省の促しって程度が過ぎると結局”責め”になるんではないか、ということを考えている
デトックスティー的なのを飲んでトイレ行ったらめちゃくちゃSUPER快便だったんだけどデトックスティーってSUPER快便と関係ある?
正しさを求める人にも色々いるけど、体感だと正しさを求める人は永遠に自問して苦しんでいて、正義て(笑)の人はどうにか正義のことを考えないのが正しいの方に常識を置きたがっていて、溝が深いなあと思うのだった
俺はなんか、正しさを支持はするがやらない層というのはいて、そういう層を「まあやってもいいか〜」くらいにするのはどうすっかな、みたいなのを最近考えている なんとなく「やらないと怒られる」とかの感覚あるんじゃないかなと思ってて、それが「正しさ」を声高に言えない(”正しい”ことはわかってるのにやってないと怒られるから)ってのもあんじゃないかと思うので、警戒を解くというか、好きにしてもらって構いませんよ〜みたいなことを できないかと
やる人もいるしやらない人もおり、それによって怒られることもないですよ〜の提示をすることで、ハードルも下がったりせんかな〜とか
でもこういうの本当はやりたくないです……人間の心情をコントロールするようなコミュニケーションってよくないから……
しかし世のロールモデルがいっぱいあるとされている属性のひとびとは果たして孤独ではないのか、孤独でないように自分の性質を変化させてきたのか謎に思う
一人ひとりの人生は当然ながらすべて違っているので誰も自分自身たり得ないけど、すごく自分と重なる体験談があれば孤独ではなくなるんだろうか
なにか自分でないものとして扱われることに対して身が引き裂かれるような思いも今は特段感じないが、そういうとき諦めと薄皮一枚の断絶があり、それが決定的に他人に対する自分の態度を微妙に冷めたものにしている気がする
「そっすね、はは」になってしまって、話して自分をわかってもらおう、の発想に至らないまま黙りこくってそのまんまとか 最近は意識して是正しようとしてるけど
まあ親しい人限定にはなるが そうだから他人への興味がなくなったのか、他人への興味がなかったからそうなったのかは定かでない
他人に興味を持つってどういうことなんだろう たまに他者の考えてることを根掘り葉掘り聞きたくなることがあるけど、あれはなんか思考のいち要素として収集しようとしてるだけでいまいち違う気がする 尊重とも言えないし
でもこれは私の中で自他の境が曖昧な態度を温もりと思い込んでいる可能性もあるか?うーん……
本当は自他の境を曖昧にされたいのかもしれない 他者になりたい?それこそ今指差し確認している孤独感の解消を求めているとか……
またInternetで「男女は本能的に趣味嗜好の差がある」のような言が流行ってて、眉にツバつけちゃお!
兄は別に電車や恐竜を好んでなかった気がするし(じゃあ何を好んでたかと言われると謎だが)、姉も私もキラキラしたアクセサリーやかわいいお人形で遊んでなかったな、と思う
何で遊んでたんだろうと思い返すと、アニメを見たりゲームをしたりそれを元にしたごっこ遊びやオリジナルキャラクターを作ったりお絵かきしたりで、要するにめちゃくちゃフィクションが好きだったんだろうな