力むと美少女になりがち
思えば氷室俊介、世界的に大活躍な研究成果を挙げて帰国するだけで記者会見を組まれ空港でエグい量の記者団に囲まれる爆裂有名人なのに富永にサインを求められて「サイン?俺の?」ってきょとんとしてるし「へへーどうよ!俺もちょっとは有名になったもんだろ!」と微妙に謙虚な自慢をしている 自信家に見せかけて根底に「一人というめちゃめちゃすごい目標がいて自分は常に二番手」という意識がないか?
すんごい研究成果を挙げて論文が無事受理されても「ふう……これで一人に少しくらいは近づけたかもな」とか思ってる可能性ないか?一人さんはそりゃとてもすごいけどお前だってかなりすごいんだぞ
氷室の眼鏡って多分元々持ってはいたのかな 片目だけ視力が衰えてたみたいだからそのままだとデスクワークとかもしづらいだろうし グラサンかけたり診察中は外してただろうから、元々持ってた眼鏡のレンズだけ交換したのかな
氷室っちの研究は当然一朝一夕で結果が出るような内容ではないだろうから大学生の頃からずっとコツコツやってきたのかな えらいねえ…… 一人さんにえらいね……と思うのと同じ温度で氷室のこと褒めてしまう
氷室っち、大学で世界に通用する医者になれるような勉強しながらも研究もしてたってことは遊ぶ暇かなりなかったんでは…… 陽キャなので付き合いのある同期とかはいそうだけど、基本大学構内で会話したりする程度で、休みの日も研究とか勉強してたりしないか
氷室は大学どっちなんだろうな〜〜〜アメリカの大学出ててもいいけど朝倉みたいな例もあるし 悩み
氷室のサイン、全然サインっぽくはなくほぼ記名という感じなので実際サイン求められ慣れてはないんだろうな まあ医学博士のサインを求める人もそうそういないか……
サインの横に書いてる宛名の富永の下の部分、「くん」とか「へ」とか「研太」の文字ではなくそこそこ複雑な漢字だから多分「様」って書いてる……?かてえ〜〜〜
ダイジン周りの存在定義についてぐるぐる考えている あのめちゃめちゃ物語の重要キー役割を持つマスコットキャラクターという存在もノベルゲーっぽさに拍車をかけているな
新海映画はこれまで男主人公がめちゃギャルゲー主人公すぎたけど今回は草太さんの萌えぢからが強すぎたので若干雰囲気が変わっている気がする 親友キャラとの間にある行間の強さが主に
人身御供となる使命を負った者はただただ悲劇であり救われるべき存在というわけではなく、(フィクションの場合)往々にしてその生き方に意味を見出し誇りを持っているので可哀想がって消費するのは好かないんだが、しかしそうやって誇りを持って犠牲になってくれている者にあぐらをかいて悠々自適に暮らすのでなく犠牲にならなかった自分たちに何ができるかどうやって生きるかを常に問い考え続けるべきというスタンスで……
使命への誇りを持って全うしてきた者への畏敬を持ち、守られてきた我々がどのようにして犠牲を産まないよう未来を作っていくかが大事だと思ってまして……これ上遠野作品のサビみたいなところはありますが……
ダイジンがすずめからの好意によって元気になることと環→すずめ、すずめ→ダイジンに共通する「うちの子になろう」という提案と、ダイジンの「すずめの子になれなかった」は関係があると思ってんだけど上手くまとまらない
子になり親子関係(庇護する側とされる側)になること、好意を失うと元気がなくなるということは愛がなければ生きられない、「うちの子になろう」が=愛とすると、寒空にすずめを生かしたのは環の愛であり、やせ細って死にかけていたダイジンを生かしたのはすずめの愛である、という風に思える
椅子が母から子への愛の象徴であるとして、すずめから子すずめへそれを渡すのは次世代への愛のリレー的な?でもあれは愛というより未来という気はしている 未来の保証が=愛か?
舌炎により軽度の味覚障害が起きてて何食っても味薄いんだけど自分の感覚が遮断される経験ってあんまないから新鮮だな
なんの違和感もなくただ味が薄いなと感じるんだけど、ほぼすべてにおいてそうだから(ああ俺がおかしいのか……)となる感じ
塩味と甘味が顕著で酸味はそこそこ感じる気がする でも塩味と甘味に障害がある状態って致命的すぎるな
真面目タイプでちょっと堅物でクールな男の隣には気さくで人当たりが良くてちょっとチャラいけどなんか感情の重い男がいるのってやっぱ自然の理なのかな
そしてその二人は得てして物語の主軸ではなく「この二人の間に絶対何らかのでかいエピソードあったな」と匂わせるだけなのもお決まりなのか?
そういう二人の間にある強めのエピソードって詳細は妄想になるんだけど存在だけで言ったら確実に”ある”じゃん これはオタクが勝手に言ってるだけではなくそういう風にして匂わせることで公式側がそもそも関係性の補強としてるんだよな
「尺の都合上詳しくは語りませんがこの二人には過去絆を育む何かがあったことを前提とした上でエモーションの補強としてください」の目配せだよなアレって
二次創作はすべてオタクの妄想とか言われるの納得行きません!俺は確実に漠然と”ある”絆エピソードの一例を示しているに過ぎないが?
閉じ師って家業って言ってるけど宗像家の者がまあぼちぼち成人した頃からみんなでやっていくのか?表の仕事しなきゃ食っていけないみたいなんも言ってたし決して働かなくても大丈夫なほど裕福というわけではないだろうし、ひとつの血族が負う使命にしては重いし効率が悪すぎる……
ダイジンが人身御供となったように何らかの厄災にヒーローが立ち向かってみんなを守る、みたいなのは本当に難しいことで、人間が人間のまま世界を守ろうとするならばやはりネットワークとシステムによる分散と効率化ができないと上手くは行かないんだろう思う
陽菜さんとかは人身御供となりかけたところを人間に戻った結果厄災がすべての人に降りかかる終わり方をするから、誰か一人の犠牲によって安寧を保とうとせず全員が厄災を受け入れた上で適応する道であり、ダイジンを犠牲としなかった世界みたいなもんではあるんだよな
毎回思うが新海作品はオタクすぎるから絶対声優のほうが合うんだけどなんで毎回俳優使うんですか?大衆映画ぶりやがって……
ダイジンが草太さんを要石にしようとしたことへ「人外だから人への配慮がなくても仕方ないよね」的なことを言ってる感想が多いんだけどいやそもそも要石とされた存在が他の者を要石にしようとしたとて何も……責められなくないか……!?
あの世界の要石にならなかったすべての人間は要石となった者を責める資格がない 安寧がその犠牲の上にあったから……
要石となる者がどれほどの思いでいるのかを知る草太さんから何か一言ほしかった気持ちもあるな どう思う草太くんは 怖かった?ダイジンも怖かったよ
それで言うとこのお役目は大変辛く苦しいしほぼ永遠に続くけど君に貰った言葉があるから頑張るよENDは濡鴉の巫女が一番好きかもな
でもすずめがダイジンにそれを強制するのでなく「私が要石になる」と決意することは草太の解放と同時にダイジンの解放をも決意する意味合いもあったから、ダイジンにはそれで十分だったのかもしれない
役目がとても辛く苦しいが君がくれたその優しい言葉があれば頑張れるよEND好きとしてはダイジンの掘り下げがほしいところではあった……あとダイジンを無垢な子供のような性格に設定し自我の色を失わせることで若干罪悪感を薄めているのもちょっと気に入らねえ
映像は良かったし、ストーリーの流れ方がめちゃめちゃノベルゲーだったのも好みだった オタクであるため
草太さんは普通に萌えキャラすぎたし芹澤朋也が美味しすぎたのも良かったね 文脈が発生するんだよなあそこ
草太さんも若干自我薄人(うすんちゅ)ではあって、そこが逆にヒロインめいていたな 自我が薄いとヒロインっぽくなるの法則
まあでも映画の尺的には仕方ないのか……アニメ化するにあたって原作から省かれた描写だな(原作ありき)
「アニメ化するにあたって省かれた細部の設定説明描写」っぽい部分がノベルゲー原作っぽさを醸し出してるのかもしれない
すずめ、公開からかなり時間経ってるからええかな〜とそのまま感想流してたけど一応まだ未視聴の人もいるっぽいから伏せといた
すずめは12年前の生死を彷徨う体験から今の自分はいつ死んでもおかしくはなく、またいつ死んでも良い(受け入れる)と思っている状態で死が怖くないわけだけど、死を怖がるには光の未来があるという希望と安心がなくてはならず、それを得られるのはあらゆる人との結びつきを得たすずめ自身が手渡すしかない、という感じでして
その途中に発せられた草太さんのいない世界が怖いというのは、好きな人だからというのもあるけど、草太さんのように明確に将来の夢がある人がその未来を奪われるというのは、それまで草太さんをそうなりたい憧れの対象として見ていたすずめにとっては暗がりの中で灯りを消されるようなものではあったのかもしれない
ラストシーンですずめは看護師を目指しているけど、旅の途中では草太さんのように閉じ師に誇りを持ちながらも教師という仕事を目指して頑張るような大人になりたいと思い始めていて、目標にしたかったのにそれが奪われてしまってはどう生きればいいのかわからない
今まで12年間つとめて”普通に”生きるようにしていたけど、草太さんに関わることで死と生と未来について向き合わざるを得なくなって、もう”普通に”生きていた頃には戻れないのに行き先を示す灯りもなくなっては歩き方がわからない、未来をどうすればいいかわからない、死よりも未来がわからないのに恐怖だけ抱いて生きている方が怖い という構図なのかも