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📚 チゴズィエ・オビオマ『ぼくらが漁師だったころ』
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すごかった。ナイジェリアの兄弟たちの話なのだが、土着のものもありつつ、離れてから見えたらしいものもありつつ、でも創作という、このうえなく物語って感じだった。これを20代で書いたのすげええ…となってしまった。
離れてから〜については、作者自身が"太鼓の音は近くよりも遠くから聞くほうがよりはっきり聞きとれる"と表現しているらしい。これがまたいい。

文章は、言い方が陳腐なのであまり言いたくないが、「みずみずしい」しかぴったりはまる言葉がない。あちこちを書き起こしてしまった。

>すべてがごく自然の流れだった。過去のことなどほとんど考えたこともなかったし、あのころ、時間はなんの意味ももたなかった。乾季には、コップ何杯分もの埃が舞う空に雲がかかり、太陽は夜になるまで顔を見せていた。雨季には、六ヵ月間ひっきりなしに豪雨が続くなか、ときに突然の雷が襲い、まるで空に薄ぼんやりした絵を描いたようだった。こんなふうに、なにもかもがいつもどおり、はっきりとしたパターンの繰り返しだったので、記憶に値する日などなかった。

>「貯水槽に落ちたココ椰子は食べる前にきれいに洗わなければならない。忘れるんじゃないぞ。つまり、悪いことをすれば、正されなければならないということだ」

>ぼくらの言語、イボ語はそんなふうに成り立っている。"気をつけろ"という警告の表現を文字通りに構成する言葉はあるけれど、代わりに"キリイレギグオエゼギオヌ──舌で歯の数を数えろ"と言ったりする。

>それからボジャが、慣れないにもかかわらず、雄鶏のしわだらけの首にスッとナイフを下ろすところをみんなで見た。これまで何度もナイフを使ったことがあるうえに、また必ず使うことになっているみたいな手つきだ。

>アバティさんのおんぼろトラックは"アルゼンチン"と呼ばれていた。絵が描かれた車体に"生まれも育ちもアルゼンチン"という伝説が刻まれていたからだ。あまりにぼろぼろなので、トラックは発車するときにやかましい音をたて、近所をガタガタと走り、朝早くから人びとを起こしてしまうのだった。それが原因で何度か文句を言われて喧嘩にもなった。一度口論になったときに、アバティさんは近所の女性に靴の踵で頭を殴られて、そのときのたんこぶは治らないまま残ってしまった。以来、トラックを出したければ必ず、子どものひとりを遣ってご近所に知らせることにした。子どもたちは近所じゅうのドアか門を何度かノックして、「父ちゃん、アルゼンチン出したいんだって」と知らせて回った。

↑このアルゼンチンの下りは笑ってしまうほどいいのだが、基本的に運命と悲劇の話ではあり、最後は泣けてしまった。

兄弟の、絆は強いのにどうしようもならなくなる感じはアリステア・マクラウド『彼方なる歌に耳を澄ませよ』も思い出した。どちらも愛情が深いだけにせつない。