22:19:47 @katakori@korikata.hostdon.ne.jp
📚 国立歴史民俗博物館・花王株式会社編『〈洗う〉文化史 「きれい」とは何か』
icon

昔の文献や統計をもとに、洗うをテーマに書かれた本でなかなか面白かった。

毎日風呂に入る・歯を磨くようになったのはやっぱりかなり近代からで、こんな感じだった模様。
江戸時代:日々は沸かした湯で手水(行水)、湯屋・洗髪は1〜2回/月
明治大正:夏は4〜20回/月、冬は2〜10回/月、湯屋か共同風呂
昭和初期:夏はほぼ毎日入るようになったが、風呂保有率は長州風呂・鉄砲風呂67%、無し27%、オロケ(蒸し風呂)6%

ただ、奈良時代でも写経を行う役人なんかは毎日沐浴してからでないと作業できなかった記録が残っているらしい。衣服も清潔でないとだめで、洗濯するためという理由の休暇願がたくさん残っているというのが面白かった。

洗うのは宗教的意味合いだった方が長いのかと思うとなんか不思議な気持ちになるな。西洋でも医師が手を消毒するようになったのは19世紀半ばらしい。

江戸時代の臼杵藩(大分県)藩士の日記には、"江戸は土埃が多くて刀の鞘や黒い羽織が真っ白になるため湯で頻繁に洗わなければならなかった"とか、"国元よりも外の勤務が多いため、十分に洗濯しても服が汚れる。江戸の勤務は一時的であっても恥は一生続くので、頻繁に着替えており、絹よりは木綿の服を着たいのも我慢しているが、来年国元に戻ったら、着替えず洗わず、存分に無精な生活をするつもりだ"とか書かれているらしく、これも面白かった。見栄?礼儀?でも入る必要あったんだろな。

そういえば共同風呂、佐藤春夫『田園の憂鬱』に貰い風呂の場面あったなーと思い出した。あれ大正だ。

体を洗うと心もスッキリするのがなぜか?という話では、脳の島皮質という場所は体の感覚と社会的評価の情報両方を受け取っているため混ざり合ってしまうのだろう説があるらしく(身体化認知)、それでそう感じるのではというようなことも書かれていた。
温かい飲み物を持った状態で人の印象を尋ねると暖かい性格の人であると評価する・重いものを持って話を聞くと重要な話題だと感じる、という実験があるらしい。なんかわかる。意外と物理で殴れみたいなこと多いもんな。

12:29:06 @katakori@korikata.hostdon.ne.jp
icon

へー
>各地を遍歴して金で雇われる自由契約の騎士たちも存在しました。彼らは後世の文学作品の中でフリーランサーと呼ばれ、フリーランスの語源とされます。
twitter.com/namicky24/status/1

○○夫人ものが多いの、だからなのか
>結婚が家同士の契約だった時代。夫婦間に愛は必須ではなく、また未婚女性の価値を下げる行いは慎まねばならなかったため、しばしば既婚夫人が恋愛対象となりました。
twitter.com/namicky24/status/1

11:53:36 @katakori@korikata.hostdon.ne.jp
icon

フロベールの小説『サラムボー』がこれを描いたやつなんだけどめちゃくちゃ面白い。フロベールの中で一番好き
グロ描写は多い。というか全てにおいて描写過多で、ゲド戦記の作者にボロクソ言われてたけど、だがそれがいい。文章読んでるだけでハリウッド映画見てるくらい目に浮かんだ
ハンニバルのお父さんハミルカルが豪気だけど人間ぽいのも良かったし、サラムボーはバカな女ではないのも良かった

磔の描写がこれなの本当に天才なんよ。直接的に書いていないのに恐さしかない
"意識が薄れゆくなかで、彼らは時おり、近くをかすめて飛ぶ鳥の羽根が口に触れるのを感じて身震いをした。"